verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

善と悪 やってみなきゃという魔

やってみなきゃわからないという魔がある。がやってみるとだいたい自分の才能がわかるという魔もあるのだ。勿論、やり続ければ、ある一定は行くようになっている。が、やはり、その上があるのだ。そこを見極めるのが、大切なのだ。才能の発揮というのは、本質次元では、どちらでも構わないのだ。まあ、誰もが、才能の発揮をしていると、快楽物質に酔うので、気持ちいいのだ。ただそれだけなのだ。だから、才能の発揮もしてもしなくても、どちらでも構わないのだ。ただ、それは、人間が勝手に決めた善悪に過ぎないのだ。不快が悪で、快が善というものだ。不快の人が悪で、快の人が善というものとも言える。誰だって、夜と朝どちらか一方だけでは暮らしていけないのと一緒だ。人間は、どの人も、超俯瞰的に見えれば、変わらないのだ。誰が良い、誰が悪いというのは、思いこみなのだ。この事がわかる人が増えてほしいのだ。そうすれば、見た目上の良い悪いはなくなるからだ。