やってみなきゃわからないという魔がある。がやってみるとだいたい自分の才能がわかるという魔もあるのだ。勿論、やり続ければ、ある一定は行くようになっている。が、やはり、その上があるのだ。そこを見極めるのが、大切なのだ。才能の発揮というのは、本質次元では、どちらでも構わないのだ。まあ、誰もが、才能の発揮をしていると、快楽物質に酔うので、気持ちいいのだ。ただそれだけなのだ。だから、才能の発揮もしてもしなくても、どちらでも構わないのだ。ただ、それは、人間が勝手に決めた善悪に過ぎないのだ。不快が悪で、快が善というものだ。不快の人が悪で、快の人が善というものとも言える。誰だって、夜と朝どちらか一方だけでは暮らしていけないのと一緒だ。人間は、どの人も、超俯瞰的に見えれば、変わらないのだ。誰が良い、誰が悪いというのは、思いこみなのだ。この事がわかる人が増えてほしいのだ。そうすれば、見た目上の良い悪いはなくなるからだ。