verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

カルマと感謝

なぜ人は争い合うのかと、私は常に思ってきた。なので、色々と探ってきた。ほぼほぼそれも終わりそうな予感だ。なので、それをできるだけ残して生きたいと思っている。なぜ、イエスキリストは、人を裁くなといったのか、私は、腑に落ちない部分があった。「人を裁くなだったら、じゃあ、何も人に関して、しゃべっちゃいけないという事?え、なぜなの?そんなの無理じゃん。どうしたらいいの?裁くなってどういう事?」と思ったものだ。これに関しては、最近、ああなるほどと思うことがほとんどなのだ。人の会話について話そう。ある嫁の弟A(としや)に関して、B(しょうこは、姉)とC(わたるは、旦那)の夫婦の会話
「え、やっぱり、あの子は、おかしいよ。どうにかしないと、私姉だし。あの子ひきこもっちゃった。まあ色々あるけど。なんでだろう。やっぱり、リストラが契機かな。ただ、お母さんの所で、揉め事ばかりおこしているし。私どうしよう。困った。なぜ、あんな良い子が、そういう目に合うのだろう。どうしたらいいかな。私がいけないのかな。何かできるかな。どこまでやっていいのかな。私も同じ立場になったことないし。困ったな。なぜだろう。神様にお願いしているのに、なかなか良くならない。私たちには、神様が働いてくれるのに、あの子には働かないのかな。やっぱり、私たちとは、信仰の基盤が違うからかな。あの子には忍耐がないからかな。いつも途中でやめるからさ。最後までやるのは、苦手なタイプなんだよね。」「うーん、やっぱり。あの子は、まだ俺らより、若いし。あまり社会をわかっていないんだよ。俺らと違ってさ。信仰の基盤も弱いし。」とまあ。色々と人は、人について裁いているのだ。そして、これが、当たり前になっているのだ。ただ、実は、悟った人は、あまりしゃべらないのだ。というより、しゃべる事をとても慎重に言葉を選んでいるのだ。なぜかというと、みんなで苦しむ事になる事を熟知しているからだ。なぜ、人は、こうやって人について裁いているのだろう。裏側を知らないからだろう。実を言うと、人は人について分析すると、その人の状態により、プラスエネルギーとマイナスエネルギーと純粋エネルギーをためるのだ。要は、純粋意識がどれぐらい入っているかなのだ。人は、この手の会話を日常茶飯事に行っている。が、実は、マイナスエネルギーも同時に、溜めて発射しているという事に気付いていないのだ。実は、悟りの段階が最終段階まで行くと、この手の日常会話も、しない場合があるのだ。それは、なぜか。やはり純粋エネルギーそのものに人はなりたいからだ。私は、どうしたら純粋エネルギーそのものになれるか大変苦心してきた。何か、人の会話というのは、いつも好き勝手な事を喋っているなと思ってきたからだ。勿論、私も好き勝手しゃべってきた。が、ある時から、何か変だなと気付いたのだ。それは、自分がもし言われている立場だったら、どう思うだろうかと第三者的に、神的に考えるとどうなのかと思ったのだ。そうしてこのイエスの言葉が引っかかったのだ。どうせ、聞かれていないし、話したいし、聞きたいし、という感情があるのだ。なぜか、私は、わからなかった。だから、やはり私もあまり喋らなかったが、時には、のめり込んで、人を裁く会話をしたものだ。が、どうも気になった。やはり、どんなに人は、自分では、裁いていないと思っても、レッテルを張り合っているのだ。これは、マイナスエネルギーも同時に放出しているのだ。勿論、人によって、とても喚いている場合がある。だから、それと比べて、自分達は、喋って裁いていないと思っている。が、実を言うと、その人の全体を人間は知っているわけではないのだ。勿論、人に認識できる事は、限られている。実は、神経の無駄遣いをしている、要は神の無駄遣いを人はしているのだ。その事をわかる人は、とても少ない。というか皆無に近い。が、真実は、、。どれだけ神が働いているか、貴方はあまり知らない。人は、そんなに人を裁かなくていいのだ。その人の全体を知れるわけではないのだ。人間は、0=∞=1でできている。人は、この1ばかりの小さな枠組みで、争いを続けている。物事を自分で、裁いている。のと、人を自分で、裁くのは違うのだ。私は、物事の分け方に、属人的な分け方と属事的な分け方が有ることに気付いた。が、これがどちらが正しいかわからなかった。答えは、属事的なのだ。それが、正しい答えだったのだ。私も、何度も属人的に人を判断した。が、同時に属事的に判断するように努めた。そして、私は、究極の第三者になりきってみた。そうすると、この答えがわかるのだ。科学的な検証と、スピリチュアルの検証が、融合した時に、この意味がわかるようになっている。そして、これが人類の越えられない壁の一つだと、私は、知ったのだ。この時代に生まれて、良かったと思うものなのだ。自分が純粋でいていいかやはりわからなかったからだ。社会に出ると、色々な嘘や欺瞞に満ちている事に気付く。だが、どうにも腑に落ちない所で、人はいつも、止まっているように思えたのだ。いつも、何か怯えているのだ。そして、どの人も本当は、この壁を越えたいと思いながら、どうしても「それが、社会だから」とその記憶を積み重ねているんのどあ。ただ、それは、神が与えた最終試練なのだ。どの人も、本当は越えたいと思っているのだ。が、どうしてもうまくいかない。なぜだろう、なぜだろう。やはり無理なのか。いや、もしかしたら、もしかしたら、こんな道もあるかもしれない。でおあ。あsどdjだとあf」djがとなっていく。そして、現実が押し寄せる。やはり、考えない方がいいよなと。あきらめる。それが損だし。なんか回りに取り残されるのもイヤだし。こんなこと思っても、しかたないし。親友に話しても、家族に話しても、「やはり、そういうものだし。」となる。
だが、それが人間に与えられた最終試練なのだ。この越えられない壁をどう越えるか、なのだ。だが、やはり現実の波が押し寄せる。自分は、そんな凄い人じゃないし。とあきらめるのだ。何度もテーマとしては、日常で出ているにも関わらず、どうしていいかわからないのだ。私も、それに取り組みながらも、あきらめながらも、葛藤している。みんなで、越えていきたいのだ。なので、必死にみんなモガいているのだ。音楽で越えたいと思う人は多い。が、どこかウェーブが止まってしまう。その感動のシーンを体験すると、日常に戻ってくる。そういうものだと諦めて、思い聞かせている。が、一つ一つ属事的にやれば、対処できるものなのだ。ただ、この物事に対するテーマというのは、確かに長い葛藤が必要なのだ。そんなに簡単にはいかないのだ。だが、どの人も本当は、求めているのだ。繰り返し、繰り返し、どうにかしたいけど、なかなかうまくいかない。でもどうにかしたい。それを「社会はこういうものだし。あの子はわかっていない」と裁いているのだ。私は、善悪の考察を徹底的に徹底的に考察した。戦争も肯定する視点も手に入れた。お金をすべて純粋フラットに提供する視点も手に入れた。ただ、この道を一人で行くのは、どうしても怖いのだ。ただ、誰もがそうなのだと、本当は越えていきたいのだ。が、どうしてもまた普通の意識に戻るのだ。信じ合う世界になりたいのだ。仲間と共に越えたいのだ。いや、本当は、誰もが仲間なのだ。が、どうしても人間は、越えたいのだ。越えたいのだ。越えたいのだ。叶えたいのだ。ただ、実は、仲間ばかりなのだ。いつも応援してくれているのだ。センチメンタルに考え過ぎかなと思うが、そんな事ないと気付かされる。何とかしたいのだ。何とか手を繋いで越えたいのだ。みんなで越えた所を見たいものなのだ。それを現実でできたら、ハッピーなのだ。が、その分厚い壁を壊していくのは、みんなでもひとりでもあるのだ。先に壊しても、後に壊しても、どこかで巡り会いたいのだ。私は、人類が越えられない壁を越える道筋を照らしていきたい。どうしたら、越えられるのか、私が提示していきたい。どの人も円の外に出たいのだ。私もたまたまそう思っただけかといつも格闘するのだ。やはり、この現実に流されてしまうのか、どうなのだろう。と思ってばかりいる。なかなか神も伝わらなくて、大変な気苦労をしているのだ。私は、私の中に三人の私がいることに気付いた。一人は泣きべそでウブ、もう一人は、人の笑顔が隙。もう一人は、とても理性的だ。誰もが、持っているものだろう。この気持ちに合わせ続けたら、どうなのだろうと思ったものだ。どういう未来が、予想もしない未来が幸運がくるのだろうかとつい期待する自分が来るノア。ノアの箱船はどこにあるのだろうか。みんなで避難したいものだ。神と共に人はどこまでやれるのだろうか。
私は、まだ物語の序盤を見ているのだろう。予想もしない未来を誰もが経験したくて、誰もが夢見るものだ。そういうものは、フィクションの世界だと追いやるのだ。そこで楽しむだけなのだl。本当は、誰もが越えたいのだ。越えるのが怖いだけなのだ。私は、どうしたらいいのだろうか。私は、あの眩い光を見てしまったのだ。神差mんの言うとおりなのだろうか。円の外には、仲間が魔っている。どうしたらいいのだろうか。私もあなたと同じで、ビビりなdの。あなたとおなしで、だからこうして書いているのだ。ふれあうと怖いからだ。ここにも自分がいる事がわかったのだ。私は、あなたの事が大好きなのだ。「どこが私のそんな好きなの?」と聞かれても、「わかんないよーー・でも好きなんだよ。俺だって、わかりたいよ。じゃあ俺のどこが好きなの?わかんないよ。でも好きなんだ」と両思いができあがるのだ。この世界は、とてもシンプルなのだが、どうも面白く作っているものなのだ。それは、愛情なのだろう。どっちも分かり合いたいだけなのだ。面白さが、この秘訣なのだ。いろんなゲームの楽しみ方があるのだ。それがこのゲームの醍醐味なのだ。この人生ゲームの商社は、誰なのだろうあか「「;:・・¥::::¥¥」。。:。。。・・・¥・・¥¥¥¥。私には、わからない。どれだけ懇親の一撃で、丁寧に書いても、見たときのは一瞬なのdあ。欲を抑えさせるとのと、欲を満たしてあげるのも愛情なのだ。愛が満ちていく。どの人も感じ合いたいのだ。だが、それは無理なんだ。どこまでいっても、どこまでいっても、どれだけ心をかけても「gdgだgdが。。dgだいが@らrとかgdgら。sとミスコードがバグがなければ、そんな事は起きないのだ。ああ、そのミスコードはいつになったら、起きるのだろうか。この世界は、探求すればするほど、完璧にできているのだ。なぜ、こんな完璧な世界を作ったのだろうか。一つぐらいバグがあっても良さそうなのに。私は、バグを探している。ばぐを見つける仕事だ。こんなにバカな事を書いているのに、たった一つのバグを探しちえるのだ。どの人も、バグを探しているのだ。私が縛になるか、貴方がばぐになるか、どっちなのだろうか。どうしても人は、見たものが真実だと思っている。なぜ、このような事が怒るのだろうか。まるで、神様のいたずらのようだ。こんなに、人は、うまくできているのに、、。なぜ、だろう。ここまで、できたのだ。そうだ。なんとかなる。信じ抜けばいい。どこまでも・信じ抜けばできるのだ。今まで信じ抜いてきたのだから、信じ抜けばいいのだろうか。信じ抜けばいい。今度こそ信じ抜いていこう。自分を信じ抜いていこう。できるのだ。できるのだ。それだけ人間は完璧なノア。どんなプロポーズよりも、感動的なプロポーズを考えてみた。どこまでも感動的なプロポーズとは、どうなのだろうか。限界ラインを越えるのは、どうやればいいのだろうか。必ず自分はできると、バクバクし愛ながら、感動を巻き起こすのだ。人間は、色々な場面を体験したいのだ。しっかり人間は、聞いているものなだの。それはそれで面白いものなのだ。沢山の自分を好きでいたいのだ。欲張りなのだろうか。うん、欲張りなのだ。実は、めちゃくちゃ欲張りなのだ。どれだけ欲張りか、宇宙一なのだろう。。いや日本一。。いや地球一、いや、どうなのだ。意地っ張りなのだ。とてつもなく。どうしたら幸せになりあえるか、ほんっき出して考えてみたのだ。私は、どうでもいいことは考えるが、どうしても自分の一番やりたい事をまた後でにやろうとするのだ。貯めて貯めて、貯めて、貯めて、貯めてまくるのだ。どれだけ貯めれば気が済むのだろうか。いや、やはり昇進者だからだろう。だから、怖いのだ。ただ、その昇進者も、時には勇気を出す時もあるのd。あいしあうタメには、必要な事なのだ。裏側を視ったら、みんなどきどきしなくなるからだ。プロポーズ大作戦。どうすればいいのか私にはわからないの。ねえ、こっちから言ってもいいの?ねえ、どうなの?という声が聞こえるのだ。ピアノの伴奏が始まる。どうする?私から行く?どうなのだろうか。いや、でも断られたら、どうしよう。神の慈悲に感謝したい。どうどうっどうっづおどうどうどうどうどうづづ、すすすすすすううすすsじゅsじゅうっるる?なのだ。こんな繰り返しなのだ。でもさでもさ、どこまでもどこまでも生き血亜いのだ。っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっjっっっっっっっっっjっっっっっっっjっっっっっっっっっっっっっっjjっっっっっj
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コードを打ちまくる音がする。どこまでもコードを打ちまくる彼の姿が見える。なぜ、ここまで完璧なコード裁きを打ていのだ。
びっくりしまいhした。いや、一発やなだkひゃ。神には、真相が見えているのだ。いや、どうなるかわかっているのだ。だから、必死なのだ。どうなるかわかっているからなのだ。神の必死さが聞こえてくるのだ。このままいくと、こうなるよというのがわかるのだ。なので、必死にその人のために動いているのあ。ついつい私は、制止をふりきり、オーバードライブするのだった。エンストばかり。、ああ、また怒られた。ねえ、答え押してよ。どれだけ幸福に満ちているのだろうか。忌まんにdだ。どうなるかわかんなくて、どきどきした自分。どうなるかわかっていてどきどきしなかった自分。どちらもあうんこ。ののがのががのがおんgさおんがんがsのgさのgsd。またコードの打ち間違えか。ちっちっっちっち。と彼の息吹が聞こえる。そっちじゃない。そっちじゃない。本当は、こっちの道に貴方は生きたいんだろう。その声が聞こえるのだ。神は、カルマの量に応じて、動けるのだろう。そっちじゃないそっちじゃないと、。こっちこっちと。いつも動いてくれるのだった。いや浮かべちゃダメだ。こんな妄想とばかり、抑えるのだった。あんなに愛情こまた育っているのだ。どれどれ、どれぐらい愛情かけて育ったかみてやろう。うんうん。どの人mいっぴあいいぽいあ愛情込められて育っているのだ。こんあに素敵な人になっているのだ。神の伴奏を聞きたいのだ。とってもっとっても、素敵なのだ。こんなに人は素晴らしいのだ。この夫でよかたと言われたいものだ。ななちゃんへ。私は、まだまだ時間がかかりそうですs。まだまだ社会で活躍するには時間gzあかかりそうです。どの人もまdまだ活躍できるのだ。私も、祈り愛たい時に、祈り血合いののだ。血なまぐさい愛も愛だと気付くには時間がかかったのでした。顕在意識というのは、神経を沢山使うのだ、それだけカルマを溜めるのだ。この事に気付く人が増える事をいのってり愛たい。できれば、どの人も、私の要に、いつもあでもいまdもえ幸せに溢れていて欲しいのだ。もういぴあい。もぴうあいっっっdf;d。歩猛威ふぃd:jぁf」s「lgmだおk@うごいあっと声が聞こえるのだ。貴方に聞きたいのだ。感動的な鳥肌と、ピリッとした神経どちらが好きですか?どちらが貴方は選びたいですか?選んでいいのだ。選んでいいのでっす。この感動を、貴方に届けたいのだ。その思い出だけなのだ。このままもっともっと加速してドライブしたいのだ。この鼓動のまま、音速、光速。、超高速、どんな自分でもいい。どんな自分でもいい。どんな自分でもいいから。愛しあいたいのだ。これが、毎日毎日感動するということなのだ。私は、わからなかった。どうすれば、どうすれば、感動しっぱなしになれるのか。あなたは、どちらを取りたいだろうか。今までの貴方と、貴方の理想の貴方だ。感動で泣きっぱなしの人生ddだ。どちらに神を使うかは、貴方次第なのだ。なぜ、感動しないのか?私は、わかったのだった。その時、また鳥肌が経ったものだ。ああ、この瞬間が欲しかったのだたあ。ああ、理想を求めて良かったと。ああ、ありがたいのだ。毎日感動で英語づけの毎日とどちらが素敵だろうか。私位は、限界まで人を信じたいのだ。いや。、自分を信じたいのだ。いや世界を信じたいのだ。どこまでもどこまでも彼方まで、この声が届いて欲しいのだ。なぜ感動しないか。それは、貴方が神経を使いすぎて、生きているからだ。神経を使わないで、心の自分の声に気付くことなのだ。沢山神経を使わない職業の人には、申し訳ないのだ。こんんあ素晴らしい最高の職業があるとは、私は、おもいもよらなkったのだ。どきどきバクバクしそうな自分を何とか抑えるのだった。これ以上、スピードアップしたら、エンストしていまう。みんなと歩調を合わせないと、またひとりぼっちになってしまう。ひとりぼっちでもいい。そんな自分も認めてあげたい。こんな素敵な世界を生きられのだから。よくわからない謎の方が、結構面白いものなのだ。整理整頓ばかりしていると、神経を使ってしまうのだ。私は、破裂しそうなのだ。いまにも、いまにも、このまま突き進んで良いか。ドクターストップをかけるのか、更に加速するのか。いつも、指を小刻みにふるえるのだった。勇気か蛮勇か迷うのだった。冷静さを取り戻すのだった。まずは、徐々につめしょうぎをするのだ。純粋でアリ続けると、この世界の正体がわかるが、準備を整えていくのだ。うまくキープしていくのだ。待ち合わせの時間mお、ひとうつひとつなのだ。明日は、何時に起きようか、3時33分にしよう。どうしても平日だと、渋滞しているのだ。困ったものだ。文字ばかり見ていると、感動しないのだ。そういうものなのだ。進路をどうするかかなり迷っているのだ。執筆活動か、留学か、またはちがうものか、迷うのだった。