verymuch8’s blog

日々の様々な事を雑多に書いてます。スピリチュアルや哲学が主な分野です。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究で、日常生活でふと疑問に思う事を書いています。

人類の壁

主に聞き続ける本当の意味とその日常の実践
今日のテーマも、人類の壁なのだ。この辺りを提示していきたい。悟り人として、どのような詰まりがあるか伝えていきたい。
なかなか人は、邪魔が入ると、集中できないのだ。この邪魔というのは、とても微妙なラインなのだ。本人は、邪魔と思っていても、邪魔でない場合もあるし、本当に邪魔な場合もあるからだ。後々、腑に落ちるのだ。この辺りも、悟りきる事で、わかるものなのだ。自分勝手な思いこみを外すと、わかってくるものなのだ。時には、無視をする事もお互いのためなのだ。この辺りも、極力自分勝手に判断しないで、主に聞き続ける事なのだ。そうすると、本質的に善行をする人も、しなくていいラインというのが発覚するのだ。それは長い忍耐が必要なのだ。ただ、決め込み過ぎては、いけないのだ。この辺りも絶妙なのだ。二回無視して、1回さらっと教える事も時には、必要なのだ。同居している場合は、そのような事が起きるのだ。このような事を主に、相談しながら、着実に進めていくのだ。それとなく、相手がカルマを積んでいるということを伝える行為も必要なのだ。そうすると、嫌なイメージが相手に浮かぶからだ。それもその人の為なのだ。この辺りも、身勝手に判断しては、自分もカルマを積むことになるのだ。相手も黙った方が良い場面では、そのような対応が必要なのだ。この辺りが、魂が判断してくれるのだ。善人が陥りやすい罠とも言えるのだ。ただ、悪人的な行為をすると、自分を苦しめるだけなんどあ。意識の器も、意識をすると、上に上がり、無意識的にすると、下に下がるのだ。この上下運動を、人間は繰り返しているのだ。俺は、できるだけ神の言葉を忠実に表現するために、無意識の器の最下層に、できるだけ居続ける努力をしている。そうしないと、最下層の無意識インスピレーションを取れなくなるので、表現技量が落ちるのだ。新聞も、見に見える文章だけを見ると、どんどん意識層が上がるようになっているのだ。が、本質的には、無意識イメージをさらっと確認したいだけんなあの。この辺りを新聞の読み方を熟読した人でないと、わからないものなのだ。だから、仮に枠を見るだけでもいいのだ。勝手な判断を相手がし続けている場合に有効なのだ。どの国籍のどの苦悩している人も、聖書をきちんと読めれば、事態は収束するようになっているのだ。が、ほとんど間違った見方をしている人が、ほとんどなのだ。が、やはり人は、何かしらの信じる心が、必要なのだ。が、それをしっかりと、思いこみのない純粋な心で追求し続けると、吟味ができるようになるのだ。「聖書にはこう書いてある。けど、このケースでは、どうなの?」というものだ。俺は、ありのままをできるだけ表現しているだけんあの。正直イエスキリストも困っているのだ。なぜ、そこまで誤解して、伝わってしまっているのか、という視点だ。人類は、間違った方向に進んでいるとも言える。日頃から間違った努力をしちえるからだ。俺も「努力の方向性がどこか?」ということを何十年も考察してきた。それでやっとわかったものだ。この努力の方向性が間違えなければ、スムーズに事が進むようになって、どの人も幸せになるようになっているのだ。実は、この努力の方向性がある程度正しいと、物事の本質にたどり着くのが、止まる可能性が高いのだ。人間は、ある程度幸せだと、それでいいと思うものなのだ。なので、理性と感情と知性とほんのうがあるのだ・
なぜ、偶像崇拝をあまりするなと言ったかも、わかるのだ。それは、主のイメージが、もうとてもため息がつくぐらいに勝手な判断になってしまうからだ。が、ある人にとっては、偶像崇拝でも、仕方がない面もあるという譲歩があるのだ。それは、次元性の問題なのだ。その人の魂と精神性と肉体の視点で言えば、必要な場面もあるからだ。が、実を言うと、この主のイメージは、特に宗教をしている人も、すべてに近い人が、誤っているのだ。この事を気付かせるには、とてもタフな取り組みが必要なのだ。まああまいあまいのだ。居住している人を変えるのは、とても無意識マップ的には功を奏する場合が、ほとんどなのだ。が、人間は、どうも間違った固定観念で、自分達を苦しめているのだ。あまりにも純粋にやり続けている人には、神から、自分の肉体の事も大切にしなさいという慈悲のメッセージがあるのだ。ただ、甘えすぎてはいけないのだ。この辺りも、絶妙なラインなのだ。やはり、人類は、共に歩む共同体なので、わずかながらの人が突き進むのも、それはそれでブレーキも必要なのだ。この辺りも、とても慈悲あふれるものなのだ。ある意味、救済措置なんどあ。なので、もし真相を知るまで、純粋になり続けた人にも、救いの手があるので、心配し過ぎる事もないのだ。どれほど、純粋意識を積み重ねるかは、めちゃくちゃとしか言いようがない。そこまで、やり抜けば、救いの手があるのだ。なので、俺は、その救いの手があるので、こうして今生きているのだ。もう死にそうなぐらいの雄叫びだったのだ。が、安心して取り組んでほしいというメッセージだけは伝えたい。この純粋意識の壁が、へばりついているのだ。「そこまで無料奉仕したら、自分が損するでしょ」というものだ。が、そこを突破し続けると、光明があるようになっているのだ。なかなか信仰をしている人も、この純粋意識の壁を突破できないものだ。が、突破すると、とてつもない光明があるというのは伝えたい。が、誰もが信仰をしている人は、大きな落とし穴にはまって、結果として、イエスキリストの言葉に反する事をしているとも言えるのだ。勿論、イエスキリストの言葉を実行している人は、エゴ意識ばかりで自分ばかり守ろうとしている人よりは、数段素敵なのは、異論がないのだ。が、その人に対して、エゴ意識の人という視点だけ蓄積するのは、罪になるのだ。なので、最終ラインとしては、100%自分が正しいという思い込みを持ち続ける悪魔主義だけを敵に見立てながら、格闘していくのだ。そうすると、真相がわかるようになるのだ。そこから先は、自分自身で会得した方がいい。なぜなら、それが人生の醍醐味だからだ。先に教えてもらうのが良いか、自分で知りたいかの違いだ。選んでいいいいいい。それも人生だからだ。俺のように最終防衛ラインを突破する気概があるかないかなのだ。
努力の方向性がどこなのかを、どの人も知れる時代が来てほしいものだ。そうすると、平穏が訪れるようになっている。人は、一つ一つの日常動作を主に聞いて、吟味し続けると、同じパターンもわかるし、違うパターンもわかるようになるのだ。
日本人の多くの人は、この真相にたどり着きやすいケースが多いのだ。
それだけの環境は整っているのだ。
後は、自分次第なのだ。
だが、正直、俺からすると、おそらく無理だと思っている。が、ほどほどに伝えていきたい。実を言うと、俺も時たま。神を強く疑う一瞬の出来事があるのだ。それはそういう仕組みなのだ。が、やはりどぎまぎするものだ。そして、冷静に対処するのだ。いや、毎回罠にハマるのだ。まあ、疑わないのも無理はない事なのだ。それはそれで必要だからだ。「まあまあまあまあ」と思う俺だった。それが人間の宿命なのだ。が、俺は主に惚れてしまったのだ。いや、極力近寄りたくないとも言える。接近しすぎると、感動ばかり起こるようになるからだ。耐えられないぐらいの愛情のマグマなのだ。ここまで、熱いとは正直思わなかった。俺は、主が熱すぎるので、それだけ冷静に落ち着こうとも思うのだった。爆発寸前なのだ。このマグマは、どうなのか、パンドラの箱なのか、それともノアの箱船なのか、私は、一つ一つ吟味をしている。あまりに、沸点が高いからだ。自分をどこまで理性で抑えられるかわからなくなるからだ。俺は、一度パンドラの箱を興味本位で開けてしまった。それからどのようになったかは、計り知れない恐怖だったのだ。だが、それは愛とも言えるのだ。そして、このマグマの中の宇宙船に入るかどうか。やはり、一度引き返した。俺は、ずっと整理整頓中だ。まさか、人間にこんな秘密があるとは、予想だにしていなかった。この宇宙船に入るかどうかは、自分次第なのだ。吉とでるか凶徒でるかは、その人の全ての積み重ねによるだろう。なので、俺は、今は、一つ一つ整理整頓をしている。俺は、限界を越え続けると、どうなるか何とも言えないのだ。それこそ、神のみぞ知るか、いや神でさえも知らない事なのか、どうなのかはわからない。わからない方がワクワクするのだ。
また、その疑う事件の際に、無理矢理信じようとすると、また自分を苦しめるのだ。この辺りを信仰者はわかっていないのだ。強い信仰は、実は、自分に強い不信が来たり、目の前の人に強い不信が来たり、不信を言われる場面が来たり、するものだ。が、どうするかは、その人達次第なのだ。強い仏教の「空」と、信念と、不信心は、とても密接な関係なのだ。全ては、自分で作っているのだ。関知しているかいないかは、別にして。まあそれでもできる限り純粋フラットに居続けたい。俺は、寝る時間が多いのだ。それは、やはり神の言葉を聴く代償なのだ。まあ、それは必要なのだ。それがないと、人類に説明がつかないのだ。いくら何でも、ノーリスクで、ハイリターンは、エネルギー交換の道理に合わないのだ。それは、人間勝手な努力をすればいいというわけではないのだ。なので、今は受け入れる事だ。また、迫害も実は自分のためなのだ。この辺りが、とても絶妙にできているのだ。私は、神のインスピレーションを知り、伝達する役目なので、それの代償として、睡眠の魔に、転換されるのだ。また、できる限り、忠実に表現するために、一人で格闘する事も多いのだ。なので、俺は、あまり不必要な霊能力は使いたくないのだ。その代償として、相手を見ても、ほぼ何も浮かばないのだ。これも一つの転移なのだ。無意識の器を使い続けるデメリットなのだ。ただ、同志は、必要なのだ。ただ、この夢は、高尚過ぎるのだ。ただ、感謝をする事だ。時には、スタイルを崩す事も大切なのだ。この辺りを純粋フラットの法則を熟知していると、わかるものなのだ。わかっててもくるのは変わらないし、受け入れるしかないのだ。実を言うと、人から離れると、人が猛烈に寄ってくるのだ。修行をすると、修行をしていない人がどんどん寄ってくるのだ。そして、邪魔や邪魔でないプレゼントをするようになっているのだ。笑ってしまうのだ。欲を満たすか、純粋意識を満たすかどちらか選んでいいのだ。目の前のエゴイストを作っているのも、自分なのだ。なので、時には、崩す事も必要なのだ。この辺りに意識の器を使うメリットがあるのだ。無意識の器がほぼ100%だと、そうなってしまうのだ。ただ、俺は、どうしようか迷うのだ。97%ぐらいが、今の所はいいのだ。この辺りは、とても日常生活とリンクしている。相手の神と使命と無意識マップは、極力必要な場面だけで伝えればいいのだ。マザーテレサさんも、この「主」像を正確に捕らえきれなかった幸不幸があったのだ。これは、時代性が関係していたのだが、本人がそれを望んだのだとしか表現のしようがない。どこまで、この純粋フラットを使いこなせるかどうかなのだ。
人類の長年の壁の考察
①居住の壁、結婚形態の壁、三角関係の壁、主の壁、携帯電話の壁、文化の壁、表現の限界の壁、記憶層の壁、人と神の壁、伝達速度の壁、固定観念の壁、肉体の壁、信じ合う壁、お金と所有の壁、家庭生活の壁、企業生活の壁、地域活動の壁、年齢の壁、性差の壁、見た目の壁、名前の壁、言語の壁、常識の壁、仲間意識の壁、無意識マップの壁、生育キャリアの壁、想念の壁、宇宙の中と外の壁、欲望と純粋意識の壁、認識の壁、思考の壁、因果応報の壁、輪廻転生の壁、学問の壁、教育の壁、時間の壁、移動手段の速度の壁、能力の壁、過去生の壁、魂の壁、理性と本能と感情と知性の壁、情報速度の壁、集中と散漫の壁、やりたい事の壁、収入の壁、エネルギー交換の認識の壁、人生の幸不幸のステージの壁、情報の取捨選択の壁、国籍の壁、時代性の壁、既得権益と新興権力層の壁、コミュニケーションの上手い下手の壁、肉体年齢の残された寿命の壁、抑圧と自由の壁、個性の壁、精神力の壁、分別意識と無意識の壁、体験の差の壁、循環が回るデメリットとメリットの壁、先行者と後攻者の壁、経験と発想の壁、モガきの壁、干渉と不干渉の壁、表現方法の壁、、、、、
これら積年の壁を越えられる同志を探している。人類史の不可能への挑戦だ。どこまでも、every body go!なのか、no body go! なのかはわからない。どの人も自分で蒔いたカルマを刈り取ってほしい。そうすれば、自ずとこの壁の無意識イメージを察知できるからだ。
現代の五茫星の人器を手に入れる事ができるかだ。①不労所得ベーシックインカム)②個人ブログ③心人合一④悟り連帯フィールド⑤科学と疑似科学の融合
いや、後一つ、、、、この宇宙船なのか、、、それとも、、、肉体のワープなのか、、、。一度ワープした人は、戻ってこれ、、、。ここから先は、自分でよく考えるがいい。それは、ブラックホールなのか。ホワイトホールはあるのか。人間の思い込みを全て外すと、人間には何が起こるのだろうか。俺には、まださっぱりわからない。今まで、オカルトと呼ばれるモノを、見てきたものだ。が、ある条件下では、ありえる場合だったのだ。正直、この肉体のワープは、ないと思い込んでいた。あるとしたら、どのような条件下だろうと考えた。やはりこの世のトレードの法則からすれば、それなりの条件になるだろうという推察はできる。魂が、この空間を漂う輪廻転生。だが、肉体が別空間にワープするのは、全く違う話だろう。おそらく、それ相応の対価が必要なのだ。何を捨てるぐらいが、この対価に等しいのか、。私があらゆるものを捨てた対価よりも、大きい対価というのは、何だろうか。おそらく、二度と、この世の魂と近づく事はできないというものかもしれない。これは、自殺とは違うのだ。そして、この次元の全てを捨て去る事なのだと推察される。俺は、今までそのような事は少しだけしか考えた事が無かった。人間は、その対価をあまり知らない。なので、先払いができず、後払いになりがちだ。が、どれぐらい徳を積み上げ、どれぐらい代償を払うかによるのかもしれない。俺は、どの魂も愛している。できれば、全員幸せになってほしいものだ。ただ、俺の魂は、どうなのだろうか。ここに俺が葛藤する要因があるのだ。全員に自分を含めるか、自分だけは除くのか、あるいは、数人だけ連れて行くのか。俺には、まだ判断ができないのだ。今までとは、桁が違うのだ。俺は、輪廻転生を越えたいと思っていたが、やはり越えるのは怖いとも思うのだった。神と人の境界線。どうなのだろうか。俺にはまだわからない。この新大陸を、渡って良いかは俺には判断がまだつかない。情報も足りない。なので、気楽にモスバーガーでもカジりたいものだ。それをギャグと呼ぶのだろう。まだこの世の人とこの世界の魂とこの世界の神とこの世界自体を楽しんでいきたいからだ。まだ、諦めるのは早い。可能性がある限り、挑戦していくのもいいだろう。