verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

新人合一 戦国武将編

中学受験の闇
中学受験というのは、親のエゴなのだ。つまり親が、子供を自分のアイデンティティの延長に見る脳の癖を直しなさいというメッセージなのだ。親の悔い改めのために、あるものなのだが、本人は、その気はない。なので、トラブルが発生するようになっているのだ。中学受験を俯瞰的に見てもそうなのだ。あの世界はおかしな欲まみれの政治家の集まりのようになっているのだ。ただ、責任ある立場の人は言えないのだ。物事の本質を知らない人ほど、があがあ騒ぐからだ。ただ、そろそろ子供達がかわいそうなのだ。その子供にとって、不必要な情報をこれでもこれでもか入れるのだ。親のエゴで、偏差値の高い学校に行けても、子供が苦しむハメになるのだ。それは、親がエゴを直せばいいのだ。オフレコ的に、親のエゴが言われているだけなのだ。やはり、親が金を払うからだ。親のエゴを直さない子は、親の希望通りには育たないのだ。そろそろ、純粋フラット通りの教育現場に戻って、どの人も幸せになってほしいものだ。この辺りに、長らく続く縦割りの弊害があるのだ。中学受験で飯を食っている講師は、その問題の真相を知っているが、やはりお金を払うエネルギー交換の関係で、よっぽどじゃないと言えないのだ。それで、問題が助長されるのだ。講師も何とかそれを金にする詐称をし続けるのだ。それを高らかに、単価アップ必勝合格と強迫観念で叫び、自分自身を洗脳していくのだ。ただ、問題は発生するのだ。それは、根っこから変わっていないからだ。純粋になって、経験もあり、優れた指導力があっても、根本が改善していないと、問題は発生するようになっているのだ。自分達のプレート自身を、改善していく必要があるのだ。生活とお金というものがあった。意外と、ベーシックインカム制度は、この物事を解消する基盤になるのだろう。どの人も、エネルギー交換をしているという本質があるからだ。お金と生活と社会制度に関しての考察が甘かったようだ。「ベーシックインカム、そんなのしたら、サボる人多いじゃんとか、国の財政もっと悪くなるじゃんとか、ソビエト的になるんじゃないとか、」「ある一定の収入を保証します。が、それよりも高い収入を得たい人は、自分達でやってください。」
私もベーシックインカムに関しては、賦に落とすのに、8年かかった。が、この制度が一番現代資本主義の地盤沈下を直す特効薬なのだ。だから、どの人も本質まで、賦に落とす作業がどうしても必要なのだ。北朝鮮があるおかげで、日本人は、社会制度を考えるきっかけになるのだ。恐怖で考えるか、純粋意識で考えるかの違いなのだ。ただ、できれば純粋で考えて欲しいものだ。そうすれば、本人と周囲も気持ちがいいものだからだ。ベーシックインカム制度に関して、色々不安事項はあったとしても、今より確実に良くなるのは、調べれば、わかるものなのだ。が、調べない人は、仕方がない。その分、その人が辛くなるだけなのだ。ベーシックインカム法案を通せばいいのだ。それで、お金と生活の問題は、おおかた片づけられるのだ。やはり、純粋フラットというのは、具体的な事象に当てはめて、表現できるものなのだ。が、国民の認識が、日本を変えるのだ。「正直いつまでも、私は自信がなかった。何か抜けている気がした。だから怖かったのだ。まだ考える余地があるのではないかと常に怯えていたのだ。」本質に到達すると、今までの苦労が、オセロゲームのように、いっぱい取れる手ばかりなのだ。やはり、多くの気付きを心が求めていたのだろう。それが取れると、落ち着くのだ。本質と繋がっているほど、人は安定するようになっているのだ。意識化で、本質の具現化されたものを、手に入れると安定するようになっているのだ。あるベストな解に対しても、九牛の一毛視点は残しておくようになっている。人間は、記憶層と情報ソースを出し切る状態が幸せで、特化されて認められ続けると幸せなのだ。特質化されないと、周囲の人の認識は、変わらないのだ。やはり、結果というのも大事なのだ。私は、思想モンスターなのだ。なので、寝っ転がって、無意識層の整理整頓と、自分の意識状態の整理整頓をしているのだ。が、傍目では、寝っ転がっているのだ。だが、自分が自然としたい行動というのは、何かしら、自分を苦しめないものなのだ。そして、勿論世間一般的な分厚い固定観念を無くすのには、特質化させるしかないのだ。また、途中課程では、信じたりする必要がどうしてもあるのだ。特質化させるまでが勝負でもあるのだ。正直特質化させきれれば、こっちのものなのだ。この状態まで、頑張りきる事だ。人間は、悟ると、メカニズムを利用しようという欲よりも、普及したいというものだ。私は、睡眠状態で、どこかしらの記憶の状態をもう一度見れるようになったのだ。本もある文字まで見れるようになったのだ。また、会話の一場面も、少しだけ見れるようになったのだ。が、かなりしんどいので、戻るようにした。潜水がキツいのと一緒だ。人間は、分別意識で、一定視点では、相手を見る必要があるが、行き過ぎると自分を苦しめるのだ。自分を守っているアイデンティティが圧迫されると、辛いのだ。どうしても人は自分を変えきる前に、人との連帯組織作ろうとする。が、結局遠回りになることも多いのだ。なかなか人は、最強の道に行けないので、神が弱っている人用に救済措置をしているのだ。最強の道は、個人の悟りの道なのだ。その方が、進みが早いのだ。が、なかなか世の中の人はわからないのだ。私も迷ったが、やはり個人の悟りの道が最短なのだ。そして、どれだけ具現化できたか、どれだけ成長できたかにより、巻き込める人が違ってくるのだ。そして、記憶層の問題もあるので、やはり人は、離れるのだ。なので、大量に具現化したものを残す課程での、一冊の本なのかもしれない。今の時代は、現実に翻弄されて、どうしても最高の本が書けないのだ。立場を与えられている人の論文のような書籍ぐらいなのだ。エネルギーが凝縮した良い本がなかなか書けないのだ。立場が与えられていない人が、立場を与えられたように作る作業を続けるのは、かなりのタフな精神力が必要なのだ。立場が与えられている人は、書ける経験があるが、書く時間がないのだ。一方で、書ける経験がない人は、書く時間はあるが、やはり良いものを書くには、それだけの量の経験をする必要があるのだ。CDや実体の音源装置がないと、音楽を聴けないというのは、根強い思い込みなのだ。私は、瞑想状態で、音楽を感じる事ができる時もあるのだ。必要なタイミングで、感動的な音楽の記憶層を呼び起こして、寝る事ができる。そうでないと、ものすごく音楽を聞くという循環に囚われて、純粋フラットでなくなって、より自分を苦しめてしまうのだ。正直、この記憶層の応用編をマスターすれば、幸せで居続けられるのだ。純粋フラット的に最適に思い出す必要があるものを思い出したいのだが、妄念や雑念で、なかなか深い層からのイメージを取り出せずに、四苦八苦に陥っているんだ。テレビも、深い瞑想で見えるのだ。実物で見ないといけないと思うのも、根強い思いこみだ。ただ、私も、なぜ、人は、神を信じるだけ信じて、結局神の言うとおりには進まないのだ。それをご都合信仰や御利益信仰と呼ぶのだろう。自分の思うように叶えてくれなくなった途端に、離れようとするのだ。それは、その人にとって最重要の無意識マップを進めるチャンスなのだが、それを自分達勝手の思い込みで、信仰しているのだ。人間を思う神の気持ちも、察するにため息ばかりなのだろう。人間と一緒にいると魂が濁るのだろう。それは、誰にとっても一緒だ。仲間と共に作ったやったというのが、時に足かせになるのだろう。橋下元府知事の様々な足取りを思うと、なかなか困難なんだなと思ったものだ。人間社会というのは、綺麗事だけでは、乗り切れないのだ。というより、それでは実現させる事ができないのだ。橋下さんも、神人合一状態であれば、乗り切れただろう。が、勿論高い純粋意識と低い純粋意識と、エゴ意識にかなり葛藤しながら、切り盛りしていたのだ。橋下徹さんの生育環境を見れば、どうしても人を信じきれない所があったのだろう。やはり、10代の時に、神人合一の概念が抜けていると、どうしてもその人は苦しんでしまうのだ。昔の武士の人は、早くに神人合一状態になったものだ。だから、あのような戦乱の世で、魂で何とか切り盛りできていたのだ。橋本竜馬は、神人合一していないのだ。だから、殺されてしまったのだ。神人合一状態だと、殺気や異変に気付くのだ。むやみやたらに動かないのだ。武田Shinngennは、神人合一していたのだ。織田のブナ我は、していないのだ。豊臣秀吉もしていたのだ。戦乱の世なので、今のような純粋フラット観ではないのだ。激動の中でも、剰余を発生させ続けるために、必死に動いているのだ。激動のリーダーでも、神人合一している人としていない人では、くっきり明暗が分かれるのだ。徳川家安に関しては、自分で考えて欲しい。彼がしているかしていないかだ。ギャグをしている人が一番真相を知っているのもまた面白いものだ。ギャグの中に正解があるかないかはあなた次第なのだ。正直馬鹿らしいのだ。無意識次元で、イメージをキャッチできる人かどうかの選別なのだ。やはり、ハンターハンターのように、念が使えるかどうかは、とても重要な要素なのだ。使えない人は、使えるようになってからいらっしゃいというバイヤーの女性を思い出したものだ。念というのが、どういうものか知るには、相当な鍛錬が必要なのだ。神人合一状態の人は、相手がどこまでも怒鳴って責めてきても、機敏に対処できるものなのだ。時に頭を下げ、時に笑い、時に怯える姿を見せる、色々な対処法ができるのだ。それは、主に尋ねる事で、物事のジャッジメントが正確なのだ。なので、一瞬不安になっても、すぐ聞いて、悔い改めるか、相手が悪いかという判断ができるのだ。そうでないと、物事の一瞬一瞬の判断の正確性というのはできないのだ。これをエゴ意識でやると、しちゃかめっちゃかになるのだ。ただ、14念前の私のように、怯えて考えるだけもしくは怒り合うになりがちなのだ。そうやって、家庭不和というのは、起こるのだ。それは、念が使えないからなのだ。無意識マップを一旦クリアしないと、念が使えるようにならないのだ。そうすると、よくわからないものにずっと流され続けるのだ。政治というのはそういうものだ。神人合一状態にどうすればなれるか
①まず思いこみをはずす
②カルマの消去
③心の中心の声を関知しているかどうか