verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

ある人に対する固定観念

希代の事業家は、無意識の器を自然と使っているのだ。私も、その事はずっと解せなかった。なぜ、そこまで鮮明なビジョンを見る事ができているのか、なぜそこまではっきりとビジョンを示す事ができるのかとずっと悩んでいた。もの凄くその事業家の書籍や言動も見た。もの凄くビジネス書を読み漁った。もの凄くビジネスデザインもした。が、やはり頭だけだったのだ。なので、そのビジョンを鮮明に見る事ができなかったのだ。希代の事業家は、深い層だから、とてつもなく戦っているのだ。深い層に行けば行くほど、光も闇も混在しているのだ。だが、それが、きれいな光になるのだ。この世で、一番きれいなものを見るのは、自分が一番綺麗になる事と、ある光を見る事なのだ。この光を見れる人は、世界で今の所、約15人ほどなのだ。パラグアイに一人、インドネシアに一人、UAEに二人、中国に一人、スーダンに一人、日本は五人、韓国一人、東南アジアは二人、南米一人、中東に1人、。この光を見れる人は増えていく。なので、この光のイメージを3Dイメージにしたのを見たら、ビックリして、連絡をよこすだろう。私以外にも見れる人がいるとは、と思うだろう。口コミで、ユーチューブを基に、人づてに伝わるのだ。この光を見れる人は、とてもつなく純粋なのだ。一斉に蜂起するだろう。
私は、お茶の作法を伯母に教えてもらった。それは、とても礼儀に満ちたものだったのだ。その機会のお陰で、色々な場面で役に立ったのだ。何かトラブルがあっても、きっちり考えて、きっちり礼で終われば、物事は収束するのだ。が、私は、不安でいっぱいで、礼を怠ってしまったのだ。やはり、それでは、礼を表現する事ができないのだ。が、救済措置として、一つ一つ礼を尽くす事なのだ。やはり、その時の場面を思い出して、礼を、目の前の物で、しっかり行う事なのだ。どの人も、人格者になるように訓練していく必要があるのだ。姿勢を正す時は、きっちり正すのだ。が、勿論ある時は、リラックスする姿勢の方が最適な事もあるのだ。この辺りも、魂は知っているのだ。武道の達人は、無意識の器を使えるのだ。茶道の達人も、無意識の器を使えるのだ。どの道と呼ばれるものを極めれば、無意識の器を自然と使っているのだ。頭でっかちの人用の回答をある人たちのお陰で、教えていただいたのだ。そのお陰で、自分の暴走を止める事ができたのだ。だが、かなりの人が、頭でっかちになっている時代になった。私は、中世の人達が、どうやって、あの大変な時代を生き抜いていたのか、気になった。
その時、その時で、必要なインスピレーションを、自分で行動する事ができれば、幸せになるのだ。私は、昔、猫背だと言われて、直そうともほとんど思っていなかったが、今こうして姿勢を正す事をしている。これでいいのだ。だが、その時やるのが一番良いのだ。が、できなくても救済措置はあるのだ。気付いた時にやればいいのだ。冷静に一人で黙々と作業ができると、取り組める事が増えるのだ。流されてばかりの自分だったが、少しだけ冷静さを取り戻せたものだった。過去に戻って、言われた事をやり直すのも大切なのだ。やはり自分がその時、援助してくれた事をやらなかったからだ。心の中心の声を言ってくれた人は、とても記憶に残っているものなのだ。私も言えなかった事が申し訳ないのだ。勇気がなくてごめんなさい。やはり、ビクッとする事を言ってくれる人は、とても有り難い存在なのだ。それに反発しても、自分を苦しめるだけなのだ。まずは、認める事なのだ。少し取り組んでみる事なのだ。そして、必要な場合は、ずっと取り組む事になるのだ。そうやって、無意識マップを完成に導くのだ。ただ、言った方が良いことと言わない方が良いことの見極めも大切だ。誰かの不幸がわかっていても、止めたい止めたいと思うのが人情だが、それはその人のためでもあるのだ。同情を買うのは、容易い事だが、それでは、根本の解決にはならないのだ。やはり、苦と楽、双方愛する視点を持ち続けるのが大切なのだ。どの人も、実は、真偽をわかっているのだ。心の声でわかるのだ。だから、安心する事なのだ。たとえ、わめかれても、事の真偽は、わかるものなのだ。ただ、自己防御に走ってはいけないのだ。心の中心の声に合わせ続けるのが人間の役目なのだ。それが、お互いにとって、良いのだ。誰もが、心の中心の声に従えるようになれば、世界は純粋フラットになるようにできているのだ。どの人も感謝の達人になる必要があるのだ。私は、家のティーパックで入れたお茶でも、たまには、お茶の作法で飲むのだ。そうすると、自然と感謝を忘れずに済むのだ。教えてくれた人に感謝するのだ。ただ、人はどうしても人の記憶を引っ張りやすいので、連絡しなくても良い場面でも、連絡しようとして、自分達を苦しめているのだ。私は、とても連絡したい気持ちにいつも囚われるが、神の声で、何とか平静を取り戻していただいているのだ。人は、何かが収まると、その時の信念が、自分を納めてくれたと思い込んでいるのだ。例えば、宗教だ。この宗教に入ったから、収まったと思い込んでいる。が、それもあるのだが、より深い層の視点でいけば、その自分勝手なアイデンティティの蓄積を止めなさいという視点なのだ。自分勝手なアイデンティティの蓄積で、事が収束したように見えるだけなのだ。これは、神の慈悲なのだ。しかし、人はそれで収束すると、どうしても自分の信念のお陰と思いがちなのだ。それで更にその信念を持ち続けようとしてしまう脳の癖にやられているのだ。この脳の癖をしっかりと自分勝手ではなく、理解する事が、この世のゲームのコツの一つなのだ。やはり、自分勝手なアイデンティティの蓄積は、自分を後々苦しめてしまうのだ。いつまでも、純粋フラットで居続ける事をしていくのが、その人の使命の発揮を最大化する事なのだ。勿論、人それぞれ意識の器で見ると、同じような立場でやっている人も、実は違う事をしているのだ。記憶の連続性で捉えがちな脳の仕組みなのだ。人は、意識の器を使うと、人に対して、ほんのごく一部しか見れない習性があるので、誤解して見てしまいがちなのだ。が、当の本人は、もの凄く改心している場合とそうでない場合があるのだ。時間が経てば、わかるものなのっだ。ただ、人と人は、かなり偏屈な考えをして、見直すべき所を見直さないで、そのまま続けるべき事を止めるように仕向けてしまったりしがちなのだ。私が、この表現をしているのが、実は一番どの人のお役に立てる事なのだ。が、それを固定観念によって、止めさせようとしている圧力があるのだが、それには屈する事はする必要がないのだ。が、グータラでいる事を正すことは最重要項目なのだ。この辺りの見極めを人はなかなかできないものなのだ。そして、間違った方向にミスリードしてしまいがちなのだ。そうやって、潰し合ってしまい、使命の発揮を妨げる要因になってしまうのだ。しかも、その立場を獲得し続けている人は、その努力をしているので、誰もが止めたらという事は言わなくなるので、専念する事ができるのだ。それで、結果も出やすいのだ。だから、人は上の立場に行きたがるのだ。ただ、それにより、本来は、違う立場になりたい魂の働きかけがあるにも関わらず、同じアイデンティティを蓄積したがるのだ。どうにか、上の立場に行くばかり考えて、行動して、プラスエネルギーとマイナスエネルギー双方を溜めながら、物事に当たってしまいがちなのだ。そうすると、いつか内外反転して、辛くなるのだ。だから、結果だけ出せばいいという訳でもないのだ。プロだから、目に見える数字だけ出していればいいわけでもないのだ。かなり見極めが難しい所なのだ。簡単に言えば、自分だけ営業の数字を出していれば、それで良いわけではないのだ。実は、この世は、方向性があるだけなのだ。が、なかなかそのインスピレーションを獲得するには、相応の勉強が必要になるのだ。一瞬一瞬の取り組むだけなのだ。行き過ぎた数字だけの結果主義は、本質的には、その人のためにならないのだ。トップクラスの営業成績を出していれば、問題ないでしょうというアピールを本人はしてしまいがちだし、周囲もそれに流されがちなのだが、やはり内心は、それを知っているのだ。そして、いつかその人は、それを直さない限り、不幸に陥る事になるのだ。それは、プロの世界でも一緒なのだ。どうしても、経営者の立場や監督の立場では、目に見える成績で判断しがちなのだ。その方が客観性があるように見えるからだ。総合評価と単一評価どちらも大切なのだ。チーム内の総合評価と個人的な単一評価で、中庸な判断ができるものなのだ。どえらい失敗をさせていただいた事を言い訳せずに、感謝して、どこかに返す気持ちを持ち続けるのだ。被害者意識というのが、自分を苦しめている原因なのだ。ただ、品行方正で、物事を進めた人は、やはり、どうしても自分の半分の領域しか見えないものなのだ。勿論、それでうまくはいきがちなのだ。が、それで偏った見方をしがちなのだ。必死な顕在意識での、抵抗活動を続けれて、自分を苦しめている場合もあるのだ。が、勿論筋が通った反抗に見えるものもあるのだ。例えば、ガンジーさんなのだ。周囲からは、悪い事をしているように見えるが、内心に従いきって、やっているだけなのだ。そして、それをやり続けた人は、偉人になるのだ。それぐらいやり抜けるかどうかなのだ。どの人も、実は偉人になれる分野があるのだ。例えば、重度の引きこもりの人が、引きこもりに対する体験があるので、それを他の引きこもりの人に、お返しをする事ができ、社会貢献になるのだ。それは、引きこもりの体験がある人でないと、ほぼ難しいものなのだ。勝手な思いこみが人間にはあるからだ。勿論、悟った人や、引きこもりを専門的な立場で研究している学者の人は本質がわかるものなのだ。が、普通の人は、レッテルばかりで、本質がわからないものなのだ。要は、その人が、魂に従い続けて、周囲から引きこもりに思える場合もあるのだ。この辺りは、絶妙な神のジャッジが一瞬一瞬あるだけなのだ。だから、深い層から、言ってくれている事と、自分勝手な強烈な偏見で、言っている場合があるのだ。過去の記憶層の連続性で見ているのだが、実は相手はもの凄く改心して、適切な行動をし続けているだけの場合もあるのだ。どの人も、引っかかりやすいのだ。だから、第一印象が後光効果として、続くのは、人は、その人のごく一場面を見ているに過ぎないからだ。もの凄い変わっているのに、気付かないのだ。ある一部分が変わっているかは、神に聞けばわかるのだが、他の部分はもの凄い変わっているものなのだ。だから、聞かない方が良いこともあるのだ。それは、一部分だけ見てしまい、その記憶が強固されるだけなのだ。確かに、一面では、変わっていないのだが、その人を見る観点が、一部分に固定されてしまうのも偏見なのだ。なので、一つ視点をズラすのも、大切なのだ。例えば、ある人が結果主義に陥って、極度に偏ってしまっている過去の記憶が鮮明にあるとしよう。それが、直っているか直っていないかばかり人は、考えてしまいがちなのだ。が、もう一歩違う観点で、人を見るように努める事なのだ。例えば、その人に対して、全く記憶がない事項に対して、考えてみる事なのだ。その人が、家族関係がうまくいっているか聞いたこともないとして、それを少し考えてみるものなのだ。そうすると、もしかすると、その人は、そこは抜群にうまくいっているかもしれないのだ。そのような思考が、純粋フラットな動作になるのだ。どこかしらに、必ず対になる視点があるものなのだ。ただ、どうしても人は、「その営業成績を強引に出している記憶と、その全く情報がない家族関係の事柄をつなげて、邪推してしまいがちなのだ。勿論、確かに、その場合は、家族関係も怪しい場合がほとんどなのだ。「それで、やっぱり家族関係も強引なのだ」と記憶層を繋げて、しまいがちなのだ。
が、それでも相手に対して、そのような純粋フラットな視点を獲得しようとする事は、自分の記憶層を純粋フラットにする事にも繋がり、自分を苦しめずに済むのだ。なので、思いっきりその人に対する記憶層と逆の視点を、入れ込むのだ。そうすると、自然と安定するようになるのだ。イエスキリストの敵を愛しなさいというのは、この逆の視点を徹底的に入れなさいというメッセージなのだ。勿論、似たような情報を繋げるのも時には必要なのだ。が、それだけでは人は自分を苦しめる事にも繋がるのだ。ただ、そこまでその人に対する愛着がわかない場合は、今自分にとって、最適な人でもないのだ。よって、その人の事を考え過ぎるのも、カルマを積むのだ。その辺りも、魂に聞けばわかるようになっているのだ。確かに、ちまたに溢れる「愛」を送るイメージの想念法も素晴らしいのだが、やはりこの、純粋フラットな人間の記憶層を活用した祈り方が、物事の真理を掴んだ祈り方なのだ。どうしても人は、自分の記憶に囚われがちで、身勝手な思いこみを作るし、その人の一場面しか記憶に残らないからだ。そして、同じような記憶ばかり強固されるようになっているのだ。この最高の祈り方をすると、その人に対する記憶層が純粋フラットになるのだ。この自分が認識していない領域を、虚と呼ぶのだが、それも考慮に入れると、更に良いのだ。過去の記憶層の入れ直しを自分でする時間も必要なのだ。確かに日常で接する人に対して、どうしても似たような記憶層を取り出しがちなのだが、できる限りそうでない記憶も入れるように努力する事は、自分も周囲も、とても幸せにするものなのだ。だから、たとえ、イチロー選手のような人格者に対しても、一定の虚と対のイメージを入れる必要があるのだ。人間は、実は、逆のイメージも入れたいものなのだ。知らず知らずに、イチロー選手の意外な一面やダラしない一面を少しでも記憶に入れて、安定させたいものなのだ。なので、マザーテレサさんも、とてつもない人格者なのだが、人は、「あの人も、人間なのだ。神と葛藤していたのだ。」という情報を、記憶に入れたい、人間の記憶層の安定の仕組みがあるのだ。なので、偉人というのは、逆に言えば、とてつもなく研究される対象になるのだ。だが、勿論偉人で、使命発揮量が最大になっているのは、間違いないので、自分に取り入れて、自分を磨き続けることは、自分にとって、苦しめずに済むのだ。どの人もこの、霊体的な観点を持っているのだ。ただ、やはり魂体と肉体的観点もあるので、自分よりも、素晴らしい人格者として、認識するのだ。ただ、どの人も実は、純粋フラットな立場であり続けた方が、幸せなのだ。イチロー選手にも、神にしか見えない、誰も知らない視点があるという虚的な視点を意識化入れると、無意識イメージの渦巻きを、純粋フラットにする事ができるのだ。ここで、もの凄く悪いイメージを入れると、自分も苦しめてしまうのだ。ただ、人間の習性で、どうしても、「あの人も、悪いのだな」と思いたいのだ。譲歩としては、入れるのが人間の性なのだが、そこを虚として、入れ込んだ方が、その人と相手にとっては、最高なのだ。なので、やんわりと「あの人には、私たちには関知できないもの凄い何かがある」という意識を一度、その人の素晴らしい面の他に、入れるのが」一番どの人に取っても、最高なのだ。実は、この真理で、誰もが、苦しんでいるのだ。要は、イチロー選手の人格により、誰もが研究したくなる事により、身近な人を、軽視してまい、悟った人として、相手をみる認識が難しくなるのだ。なので、この世界で、真犯人として、イチロー選手をあげるという視点も、純粋フラットとしては、あるのだ。この辺りもなかなか人間は、分厚い固定観念があるのだ。イチロー選手を見て、自分と周囲を矮小化してはいけないのだ。私は、どんどんこの世界の真相がわかりすぎて、どんどんひとりぼっちの人間になっていっているのがわかるのだ。あまりに進み過ぎると、周囲とギャップが出て、苦しむのだ。神もそのような知らせをしてくれるのだった。実は、悟りという観点で言えば、個人の時間を増やして、物事に当たった方が、悟れるのだ。が、同時に絆の育成と、最適配置する場所がなくなってくるのだ。そうすると、神も困るのだ。実は、使命発揮量を抑えるという視点もあるのだ。そうしないと、グループで、活躍する場所がなくなるのだ。無意識マップが重複するのだ。私は、史上最年少で悟ってしまったのだ。うれしい反面、かなしい反面なのだ。そうすると、周囲とギャップが出るのだ。私は、この歳で、長年の努力の甲斐があって、無意識マップが完成したのだ。そうすると、最適な人が、物理的に存在する事が無理なのだ。そうすると、家にこもるしかなくなるのだ。そして、こもりながら、この記事を書くと、より悟りが進んでしまい、独走状態になってしまうのだ。他の人が、悟るのを待つしかないのかもしれない。ただ、その可能性は、現状では、不可能なのだろう。なぜ、個人の方が悟れるのかというと、ある一定量のグループマップは存在するのだが、それをクリアすると、個人で極める道に行くのだ。グループだとどうしても重複になる部分があるのだ。が、人はどうしてもグループでいたがるのだ。それを続けて、キャリアと呼ぶのだ。が、実は重複ばかりなのだ。そうすると、悟りが遅くなるのだ。実は、魔が差したと呼ばれる1回の行動は、無意識マップを完成させるために、必要な行為なのだ。私は、ストーカー行為を何回かした事がある。それも実は必要な事だったのだ。自分に必要な事をするかどうかなのだ。おなじような魂体的と霊体的マップになると、相手の弱点だったり、真意だったりが、目に見えてわかるようになるのだ。相手も同じような動作をしているという事もわかるのだ。上司と部下的関係だと、物理的なものは出せるが、どうしても固定して、切磋琢磨の関係になりづらいのだ。対の個人や組織ができると、切磋琢磨の関係になり、好転していく。ある世間的にどうなのと思われる事も、純粋に思った上で、内々でやる事も必要な場合もあるのだ。また、それを公開する場合も、人によってはあるのだ。それが、その人の無意識マップ上で必要な場合があるからだ。相手の顕在意識に直接アタックするプレゼンなり資料作成やら、キャリアやら、見せ方は必要なのだ。