verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

人間の絶対正義論

人間の絶対正義とは
いじめに対して、啓示的な夢を見た。イジメのケーススタディでもある。
自分に対して、あるやつMが席移動をわざとやってくるが、それは、tの仕業だ。それを自分側は不正行為だと、先生に密告した。そうすると、tはIをつかって、自分をリンチにしようとするのと、Mを脅す。tは少なからずなめている感じだ。逆に自分は、リンチは正義を貫けないので、Kという仲間を呼んだ。ここで夢がストップした。暴力や口論を全肯定するわけではないは、時には暴力や口論は必要ではないかと考え始めた。口論ぐらいで、相手が説得する気はないとしたら、第三者の先生で解決だが、それも難しい場合、当事者で暴力で対決するしかないのだろう。こういう事例も耳にした事があった。正義は負けたら、正義ではなくなってしまう。正義は勝たなければならない。正義という言葉の宿命であるとも言える。そうすると、tがのさばり、他のクラスメイトにも害が及ぶ事が考えられる。従って、Kという仲間を呼んで、タッグ戦をするしか、平和的解決ができない場合、するしかないのだ。もともと、自分は逆ギレタイプではないが、やるときはやるタイプである。Tは、クラスメイトをなめてる連中が多い。そのようなTを改心させるには、集団攻撃とかしかないのだろう。Mも仕方なく従うしかない。よって、未成年だとすると、そういう暴力対戦もありだとする。やはり場面場面によっては、人間的絶対正義はあるとも言えるだろう。確かに視点は抜けている、例えば時系列上という正義や総合的な正義の言葉だが、抜けているが、これを正義と言わずなんと呼ぶのだろう?か
何度考えても、Tが悪いのだ。知恵がそれ以上思いつかない場合、力VS力の戦いになるのだろう。自分が第三者でなく、当事者だと視点が変わるのだ。
中学の時に、デブスポーツマンと、やんちゃ系のバトルがあったと聴いたが、デブスポーツマンが勝ったとされる。話を聞く限り、デブスポーツマンの方が悪くないとも思われた。聴いて、一安心した思い出がある。スピ系のどの辺の霊がどこまで絡んでいるかはわからない。ので、不問とする。