verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

大学変革 どうすればいいか つまらない 充実

大学の授業は、どうなのか?

結論から言うと、アクティブラーニニングがいいのだろう。
家から一番近い私立大学を受験した。
ただ、都内のマーチの学力が同じ母集団にいれば、仲間効果もあり、良かったかもしれないと思うことが常々あった。。大学の相手の思考回路のちょっと物足りなさを感じた。
今振り返って見ると、私大文系だったが、強いて楽しかったのは、ゼミぐらいだった。ベンシムというシミュレーションの授業だったし、発表もあった。卒業要件の128単位以上取ったが、あまり楽しい授業というのはなかった。確かに、高校までと違い自分で、その授業を選べるのは、(必修、必修選択以外)画期的な気分だったが、あまり良い授業に出会ったとは、言えない。自分の基本的な戦略は、知的好奇心と単位を取りづらそうなものは取らず、楽に取れるような要はテスト重視のものだった。ただ、テスト重視じゃなければ、いい授業だったとも言えない。その大学平均では、英語もトップクラスで、学力が高かったので、比較的楽だった。必修は、英語や体育である。前期のクラス授業もあまり面白くなかった。学校の裏評判のネットも参考にしたり、シラバスでも、考えた。サークルの先輩の情報は、あまりあてにしなかった気がする。結局何年も経つと、覚えていないのだ。覚えていないという事は、あまり楽しくなかったのだろう。確かに親は、留年せず、4年で現役で卒業した事、大学費用をよりかけることなく(大学の単位は、楽勝だったが)は評価してた。が、就職浪人やサークルの後輩との縁作りで、仮面留年しても良かったかもと考えた。が、今になってみると、仲の良い後輩と縁を作っても、縁は切れるし、仕方がないとも言える。就職浪人も結局就職したので、する必要もなかったと、今になっていえる。大学生の時、自由奔放に生きた部分は生きた。単発短期系の、例えば、エキストラ等バイトも変わったバイトをした。定期のバイトはしなかった。フリーターの時のように、もう少し定期のバイトをすればよかったかもしれない。
が、やはりその後の就職の履歴書で、4年間で留年や退学せず、卒業は見られていた。3年生の時に、就職合宿というのにも、参加したが、やはり就職より起業してみたいと思い、起業コンテストに刺激されたのもあり、、4年の末期に学生起業した。海外に寿司のレシピを売るというアイディアは良かったが、売り上げが足らなかったので、やめたが、もう一度チャレンジしようとしたが、うつ病的でだめだったので、普通の就職にも切り替えた。起業は、その後もしたが、やはり売り上げが弱かった。
また、意味不明な化学の授業があったのは逆の意味で覚えている。最新化学とリンクも確かしてなかったはずだ。恐らく、最新科学とリンクしていたら、面白かっただろう。たまに映画を見せていた。
卒業証明書と成績証明書はあるが、学校はオールA狙いではなく、だいたい良い成績で卒業した。大学院には、少しその成績証明書が見られるので、ちょっとビビったが、他のBBT大学の科目履修生で、使ったような気がする。大学院に進学より、就職や起業を選んだ。一般教養も大講義で、あまり面白くなかった。
課外授業で、商店街との産学連携もしたが、ちょうど父の死と重なって、最終的なお祭りには出れなかった。こういう課外授業は良い方な授業だろう。
その後の実社会は甘くなかった。大学とのGAPがあった。根性と負けん気で残業して、裏話を聴き、その会社では評価されていたが、社長に失言的反発したので、違う所に飛ばされたが、そこは通勤が遠かったが、比較的やりやすい環境だった。やはり、大学は、アクティブラーニングに力を入れるべきなのだろう。謎、謎解き、謎、謎解き、謎、謎解きの連鎖が、知的好奇心が満たされていく。このような生の循環により、ゼミの授業体系が好ましいのだろう。ただ、やはり今になって思うが、何だったんだろうとも思う。医学部とかとは違い、商学部だったので、医師という職業に直結しているわけでもない。商学部は、広範囲な職業に間接的な関連とも言えなくはない。商学部に直結しているともいえる公認会計士は、取る気もなかったし、なれる学力はなかったはずだ。民間では、商社に少し憧れはあったが、できる気がしなかった。コンサルタント志望もあったが、新卒と第二新卒で試したが、スペックが足りなかった。行政の公務員勉強は少なからずしていたが、民間の方がいいと判断した。就職試験に使われるSPIもまあまあな成績だったと思う。結局大学の人との縁もなくなりつつあり、人脈面で良かったとも言えない。サークルの飲み会で、お酒やコールを覚えたぐらいだ。大卒のステータスってそんなに大事かと言われれば、そんなでもないとも言える。他にも色々チャレンジしたが、省略しよう。
確かうろ覚えだが、イギリスのように、ゼミ形式の授業をできる限り、やるのがいいだろう。政治関連で言えば、松下政経塾も見学を二回したが、スペックが足りないから、諦めた。選挙のバイトを単発でした。その後、政治家のボランティアをしたが、政治家には向かないと判断して諦めた。そして、日本政策学校では、まだ足りないとうつでチェレンジできなかった。その後は、ブログで政治面はあまり扱わないようにしていた。それは、絶対的正義はないと結論をある時期にしたからだ。だが、ここは未来において変わる可能性がある。
結論から言うと、もっと大學は、変わった授業を取り入れるべきなのだろう。