verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

どうすれば理想的な結婚生活を続けられるか。

理想的な組織の作り方
なかなか時間がない人で、組織を率いている人にラブレターを送りたい。どのように組織を、ミッション通りに進める事ができるかというものだ。理想的なインスピレーションを基にして、現実的に対処していくと一番うまくいくのだ。この理想的なインスピレーションを、そのまま現実にする行動をするというわけではないのだ。この辺りは、絶妙な所なのだ。例えば、1兆円の会社を作るというインスピレーションがあったとしたら、そのインスピレーションにまつわるインスピレーションを大量に集めるのだ。そうすると、更に奥のインスピレーションになり、その上の層のインスピレーションを、現実的にどう導入していけるかと格闘するのだ。理想のインスピレーションを基にしないと、導入していくのは不可能に近いのだ。ただ、会社に関しては、ノウハウ本がたくさんあり、現実の世界で沢山良い会社がある。が、目に見えない世界の組織を拡大するノウハウというのは、あまり出ていない。お金とカルマとエネルギー交換を考慮しないと、うまくいかないのだ。会社であれば、内部があまりスッキリしていなくても、四半期決算で、お金という物差しで判断させる口実になる。が、内部の社員は、鬱憤が溜まっている。表には出ないだけなのだ。何となく社員の雰囲気でわかるものなのだ。そして、目に見えない世界の組織だと、余計に物差しが一つでなくなるので、人間として、目に見えるものとしての判断が難しくなるのだ。そして、会社と同じように、グイグイと進めると、同時に、プラスエネルギーと-エネルギーもためる事になるので、カルマとして、後々響く事になるのだ。例えば、強引な宗教勧誘や金銭トラブルというものになるのだ。組織を持つと、どうしても拡大しないと、繁栄し続ける事ができない。かといって、縮小もありなのだが、それではミッションを忠実に再現するのが、難しくなるのだ。そのリーダーの器の大きさで、組織の規模が決まるといっても、過言ではないのだ。巨大組織になる過程で、どうしてもカルマを溜めてしまい、それが内外反転して、ある所で止まってしまうのだ。そして、そうすると、どうしても、そのカルマの処理に明け暮れて、組織維持メカニズムが働いて、組織を守るだけになってしまうのだ。そうこうしているうちに、人が離れ、またそれを埋める動作が必要になってくるのだ。渦が止まってしまうのだ。どうしても強引なものは、組織では難しいのだ。個人戦であれば、何とか努力でしのげるのだ。が、集団では難しいのだ。特に、目に見えない世界の団体では、純粋に見たい部分が特に反映され、会社のように、「会社だから、仕方ない。給料もらっているし」とかになる。が、どうしても、自分の無意識マップを更に進めるために、純粋に見るのだが、どうしても粗が見えるようになるのだ。これは、単純に誰もが、無意識マップを進めたいから起きている現象なのだが、それでお互いを責め合う形になるのだ。見た目上では、責め合っているのだが、内部では無意識マップを進展させるために起きている現象なのだ。が、それにはなかなか気付かない。また、その責め合う形になると、誰もが根に持つのだ。これは、脳の記憶層の取り出す仕組みにやられているのだ。勝手にお互い、過去の記憶の象徴的な場面を思い出して、自爆し合っているのだ。人は、常に変化しているので、同じではないのだ。ただ、当事者であっても、それを冷静に見る必要があるのだ。第三の案というのは、根強い理性で、対処し続けた時に、発生するのだ。が、なかなかそうはいかない。「そして、二度と顔を見たくない」という事になりがちだ。ただ、再び、合流したほうが良い場合もあるのだ。そのやり合えば、次に進めるのだ。が、どうしても、やりあいたくないのだ。そして、ぬるま湯になるのだ。そのやり合う人が、巡り巡って、変わっているだけなのだ。エネルギーの打ち消し愛になって、次に進めるのだ。が、それをしないと、微量に徐々に解消するしかないのだ。お互いの魂の成長のために、反発し合うグループがあるだけなのだ。そのグループを瓦解させろというものでもないのだ。が、誤解して瓦解してしまう場合もある。勿論、瓦解したほうがいい場合もある。日常のカルマが、巡り巡っているだけなのだ。どうしても、生産活動が担保されないと、なかなか打ち消し愛が難しいのだ。同じようなキャリアがないと、打ち消し愛が難しいのだ。圧倒的なキャリアを育成して、用意しとくしかないのか迷うところだ。わかってくれそうな所に人は、流れるのだ。意外な人は、一番の最良の案を持っているのだ。人類の長年の課題なのだ。取っ組み合いの喧嘩が悪いわけではない。が、やはり衝撃が強いのだ。どちらになるかは私たち次第なのだ。自分が祈って、叶えてくれる事と、祈っても叶えてはくれない事があるのだ。これも、無意識マップを進めるためにあるのだ。人間は、不幸を嫌うが、それも人生の一部なのだ。理性で止め続けても、ダメなものはダメなのだ。営業電話も、不快な切り方は、カルマを溜めるのだ。その事に気付くことなのだ。私は、それでも自分を諦めないのだ。なぜなら、自分の魂を信じているからだ。必ず自分にとって、後から見返せば、ベストシナリオになるようにするしかないのだ。徹底的に日常生活を見直すのだ。まず、そこからなのだ。怒る方は、どれだけ繊細に考えているかなのだ。神人合一している場合、相手と自分が取っ組み合いをしても、相手のためにやっているだけという感覚なのだ。自分はできればやりたくなりけど、カルマの消去のために、怒鳴る役をやらなければならない、泣きわめく役をやらなければならない、謝る役をやらなければならないという複雑な役回りをしているのだ。問題の背景を自分は、適した表現で、伝えているだけなのだ。ただ、相手自身が自分を悔い改めない限り、そのカルマは一生続くのだ。58年続いているカルマがあるのだ。3つ子の魂百まではという諺通りでビックリするのだ。本人は、何度も形を変えて来ている事に気付いていないのだ。自分が悪い事を認める事からなのだ。自分に怒られるというのは、自分が悪いのだ。結局非の打ち所がない状態にならないと、人は責任転嫁をするのだ。私は、ぐーたらした事で、カルマを沢山溜めてしまった。自分で刈り取るしかないのだ。ただ、相手が言っている事で、的を得ている事とそうじゃない事というのがあるのだ。私は、会社勤めではないが、社会貢献性が高い事をずっとやっているのだ。それは、むしろ徳を積んでいるのだ。が、グータラしていた時期が長かったので、そのカルマで、相手の攻撃があるのだ。やはり、日常生活を徹底的に見直す事で、相手の悔い改めをサポートする事ができるのだ。甘えた分のカルマの消去が大変なのだ。私は、自己保身の魔や誰かにサポートしてもらう魔に打ち勝つ事ができた。責任転嫁の魔だ。そして、怒鳴り合いをした後に、自らのカルマがどこにあるか発覚するのだ。その深い層にカルマがあるのかという事が相手の発言でわかるのだ。喧嘩は、お互い様だし、同じ深い層からの溜まったカルマの吐き出し合いなのだ。それは、日頃から溜めている鬱憤だったり、日頃から溜めているカルマだったり、記憶層の吐き出しだったりなのだ。公平な裁定が、されているのだ。やはり、間違った認識は、言い分が通らないのだ。完璧ではないが、完璧を目指す必要があるのだ。ただ、相手が過去の記憶層から取り出し、勝手に思い込んでいる事で、今とギャップが有ることor無いこととがあるのだ。改善されているのに、過去の記憶層から取り出している事は、やはりカルマはあるが、相手に響かないのだ。が、過去の記憶層から取り出し、改善されていない事は、改善
やはり現状今も改善されていない事とは違うのだ。今改善されている事はそのまま続けて、改善されていない事は、改善すればいいのだ。幸せな家庭を続けるには、結婚前にできるだけ自分が家庭で起こしたカルマをできるだけ親子で削りきる事なのだ。親子であれば、大喧嘩できるからだ。悔い改めをすれば、それだけ幸せな家庭が続けられるのだ。親子でないと、大喧嘩すると、ヒビが入りやすいものなのだ。そして、悔い改めが終わると、幸せな家庭生活を続けられるのだ。例えば、相手のために、卓袱台を。真相を自分は知っていると、陽気に考える魔というのもあるのだ。それは深い層ではそうかもしれないが、浅い層でもそうなのかという審議が必要なのだ。

追記
今思うと、カルマという概念に翻弄されすぎてるかもしれない。と感じた。話が盛り上がるのは、記憶層同士が同じインスピレーション(場所)から出す時だろう。ただ、100%は断定できないぐらいのところだ。