verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

合格者数の是非 決まらず

予備校や塾や学校の合格者数の是非
文科省への手紙(文科省ガイドラインを作れるか)
高等教育機関にとって、難関大等の合格者が多い方が見栄えが良い。だから、水増し合格は悪いが、計算表記方法を変えたくなるのもわかる。
一つの資料として、高校側は、生徒が進学した先だけ(今後、進路(進学)=実績とする)を発表するパターンだ。(実際どこ行ったの?)進学をメインにした資料だ。
受験生はいくつかの受験をしているが、合否はともあれ、結局行くところは、肉体は一つなので、それを基準にするのもいいのではないだろうか?
ただ、その人にとっては、複数受かり、複数落ちた場合(それも事実ベース)は、自分の学力はこれぐらいかと判断できる。(これは、ある意味、一校進路実績より、大まかな学力ベースになるとは言えよう。)ただ、もう少し論題を進めよう。
確かに、複数合格も事実ベースである。また、進路実績とかぶる所だ。
しかし、不正の水増し論にはならない。できる生徒は、多くの学校で合格実績を作って欲しいのが、先生側の思惑だろう。要は、見る側が知りたいのはどんな学力があって、個人が受かったのかどうかが気になる所なのだ。
しかし、確か国立は一つ(前期)と、二つ(後期)のみだったような気がする。私立は何校も金さえあれば、受けれる仕組みだった気がする。これは、良いか悪いか何とも言えないものだ。
高校側も複数合否生徒のその生徒への基準がわかる。
また、なぜ不合格の一覧を作らないのだろうか。確かに面倒だというものも考えられる。ただ、ここは今は話しが飛ぶから、不問とする。
高校側としては、生徒が複数受かった場合は、複数を合格実績にあげた方が見栄えがいい。だったら、落ちたのも入れるのがフェアだという意見がある。確かにこれは妙案だが、資料の読み込みが難しい。それは、系統が違うのにも受かったという事も意味する。東大受かったけど、慶応に行く人もいてもおかしくないが、先生はそうさせないようにし向けるだろう。憲法で保証されている個人の自由だが、何やかんやで東大を選ばせたいと仕組んでくるだろう。
根源的に受験に受かるというのは、誰の努力なのだろう?無論、それは誰のものでもないというのがフェアな見方だろう。が、どうしても私としては、止揚したい。が。まだ論題を続けていた方がいいだろう。本人の努力に依るものもあるだろうし、学校(等の学習空間環境)のもあるだろうし、、、、と続いている。確かに何年も塾通いしていれば、どれくらいかによるが、塾のおかげということも一般的には思うだろう。ただ。数週間だと塾のおかげとはならないのが一般的に思うところだろう。数週間で合格だと、最後の調整ぐらいで、もともと学力が高かった。生徒の学力を何で計るか苦心する学校も多いだろう。AO塾が叩かれているのは、何となくわかる気もする気がする。面接対策やAO入試資料の作成は、塾としては、手薄になりやすい分野だ。たまたま元々偏差値的学力が高くて、ちょこっと教えてもらうというのは、受験生側としてはありなのだ。そういうのを、AO塾は、カウントしているのだ。
6年間手塩にかけた生徒が、そのAO塾生として、AO塾を選んで、合格したとしよう。そうすると、AO塾の合格実績になるのだ。どちらの合格実績になるかは、何とも言えないものなのだ。微妙な所である。AO塾としては、その生徒がどういう背景であれ、合格させられる事ができたら、合格実績なのだ。東進ハイスクールも単科だけ受けて、大学に合格した生徒もカウントしているとされている。良く言えば、補助的な役割をした。悪く言えば、水増し論的な手法である。そういう生徒を合格シートにいれていいかという倫理的な問題がある。ただ、ここまでくると、良い策が見あたらないので、受験生側のどういう風に過ごしたらいいかを書いていくのもありなのだが、まだ考察が足りない。単科のみの場合、それを書き込む必要があるか削るである。
塾本来の力というのを保護者はみたいのと子供とマッチするかを知りたいからだ。裁判であれば、誇大広告にあたるかどうかが焦点である。普通の塾の取り方で(普通の塾の講座の取り方は、それぞれだ)、偏差値をどれくらいあげられるかにかかっているのだろう。これを文科省にルール制度を作るように提案しようと思ったが、問題点が結構出てきて、難しいという事になった。