キレる教育、怒る教育、叱る教育
現在の教育で抜けているのが、自分から敢えてキレる教育である。穏やかすぎると、相手が警戒しないようになるからだ。たまに、キレたり、怒ったり、叱ったりする事は重要なのだ。相手は、聖人君子でもないから、叱らないとわからないのだ。子供の教育でも、叱るというのを常日頃考えながら、接する必要があるのだ。子供の頃は、感情的に怒る先生が嫌だったが、自分が教師役になって、初めて子供を感情的に怒ってしまうシーンの大切さを感じてしまうものなのだ。やはり、叱らないと、子供は増長して、感情的になってしまうものだからだ。叱ると怒るの違いというのも、先生を悩ませる問題だ。これは、なかなか定義が難しいが、言葉を選びつつ、理性を持ちつつ、怒る動作をするのが叱るというものだろう。私も、ある同い年が嫌がらせをシてきた時に、怒りの感情が出てこらえていたが、やはり相手は子どもだから、事態を収束するには、キレる必要があるのだ。時には、刃向かったり、こづいたりする必要がある事が、後にわかったものだ。やはり、不当な扱いと感じた場合は、キレる必要があるのだ。が、相手がよくわからない変わった人の場合、あまり謝って、相手にしない事なのだ。怒られたり、叱られたりしながら、成長するのが子どもだからだ。周りに怒ってくれる人がいないのは寂しいものなのだ。相手があるポイントで、評価を下げていても、黙って見て見ぬふりをするものように、年を重ねていくとなるからだ、この年齢の人に言っても、仕方ないとなるからだ。
追記
冷静にキレるというのは、事態の収束になる場合がある。乳幼児教育は、ミルクが必要だ。わがままさせ過ぎないのも必要かもしれない。