手段と目的 履き違え

手段と目的を履き違える魔は多い。
私も、よく履き違える。
例えば、目的は、一つ一つ気付きを得て、お互いに幸せになりたいというものだとしよう。
目的と手段を履き違えるというのは、例えば、相手が受け入れていない場合に、「聖書を読め読め」と脅迫し続けることなのだ。聖書は、手段なのだ。聖書を用いて、気付きを得て、お互いに幸せになる。ということなのだ。これを、履き違えると、聖書を読むことが、目的になってしまう。だから、手段というのは、何でもいいのである。ことわざでもいい。ニュースでもいい。身近な人の話でもいいのだ。ここのところは、間違えやすいのだ。「聖書を読もう」と言って、聖書を読まずに、漢字を書きあってもいいのだ。ここのところは、私は、過去の個別指導塾の経験のお陰で、勉強になった。人それぞれ、記憶層が違うので、腑に落ちるパターンが違うのだ。ここを強引に入れようとすると、反抗心が出るのだ。その中で一つ気付きを得てもらえばいいのだ。


「手段」と「目的」混同はやめよう。手段の目的化を防ぐには。 | TET

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