欲望というのは、適切に使うことも大切なのだ。
勿論、無欲というのを一度は手に入れると、大自由になるのだ。
欲望の虜にならずに済むからだ。
だが、通常人間は、欲と欲がぶつかり合うから、繋がりが、マッチングが生まれるのだ。
無欲同士だと、マッチングが生まれづらいのだ。
私は、聖人並みに無欲になった。そうすると、相手の欲が丸見えなのだ。
が、私は、欲へのアプローチも認めることにした。相手の欲にマッチするように、事を運ぶのだ。
だが、自分も欲の魔に負けないように、「主に確認をする」という動作を絶えずするのだ。
私も、まだまだ、欲が循環させるには、必要なのだ。欲さん、ごめんなさい。欲さん、ありがとう。
いつもお母さんを欲まみれにしてくれたおかげで、私は無欲になれたのだ。
有り難い。いや、有り難迷惑かもしれない。どちらでもいい自分を認めるのだ。ただ、やはり相手の欲求が、どこにあるか、焦点を定めるのだ。
誰にでもある倦怠欲に、きっちりアプローチするのだ。
追記
欲をコントロールできると、日常生活が変わる。誰かに話したいという気持ちを強く持ちすぎると、話せないと辛くなる。