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頭が良いという幻想 本質の追求

頭がいい人が作る社会が、頭がいい人が問題の本質がわかっているという幻想を、そろそろ止めにしませんか。
という問題提起だ。
もうそろそろ、気付こう。
どの人も一緒だという事に。どの人も、何かしらの鍵を持っているのだ。これが、民主主義なのだ。

どの人も、素晴らしいのだから、もっと尊厳な心を持つのだ。が、傲慢になれというわけではない。

理屈をつけて話せば、頭がいい人は、世間的に頭が良いとされる脳内データを構築したことで、その脳内データを消去しないかぎり、問題の本質に辿り着けないのだ。
逆に、頭が悪い人は、自分の脳内データに、好き勝手なものを入れているし、浮かんだ良い無意識イメージでも、周囲に説明ができないという側面がある。
例えば、誰かに会ったときに、「ビビっと来た」のような表現だ。が、それは本質的なイメージの言語化なのだが、それを多くの人に伝達する訓練を受けていない。一方で、頭のいい人は情報をいれた分だけ、感度が弱まる傾向にあるのだ。そうすると、その本質的イメージが浮かばず、言語化するトレーニングは受けているから、浮かべば、言語化しやすいのだが、結局浮かばないのだ。
このようにして、頭のいい人と頭の悪い人の間に、コミュニケーションのギャップが生まれるのだ。


頭だけで考えると、わからない。頭だけで考えると、わからない。感情だけでも伝わらないのだ。
自分と反対側と思っている人が、問題の答えを、持っているのが多々ある。そういう意味で言えば、どの人も、変わらないのだ。
流行りの言葉で、無化やゼロ。普通、ゼロベースというが、本当にゼロベースかというと、そんなことしてないのだ。

「頭が良いな」と思う人の特徴 頭の回転が速い、本質を瞬間的に見抜く - ライブドアニュース

「頭が良いな」と思う人の特徴 頭の回転が速い、本質を瞬間的に見抜く - ライブドアニュース



私は、「本質本質、本質は何か」とばかり、考えてきた。
問題の本質というのは、実は、ないのだ。本質を作っているのは、脳だからだ
勝手に問題を作って、問題の解消に翻弄されるのだ。自分で問題を作っているとは、あまり誰も思わないかもしれない。

誰かが表現したモノを、「これ、本質じゃん」と本質だと思うのは、自分よりも、思索に富んだ無意識イメージなだけなのだ。
「じゃあ、脳が死んだら、解決か」
死んだ後も、続くのだ。
死んでも、魂体と霊体は残るし、脳機能は維持されるので、魂になっても、同じような事が続くのだ。
ごめんなさい。個人的な事を大事にするのが、幸せなのだと気付かされた。
「あ、このblogが個人的な事か」と気付かされたのだった。自分の心が、重要な問題解決の鍵を持っている事に気が付くべきなのだ。
無意識イメージの疏通が必要なのだが、これからその領域が発展するだろう。