verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

お金の認識と体の三重性

お金の認識には、それぞれの体で認識が違うのだ。人間の体には、三重性がある、肉体、魂体、霊体である。それぞれ、見方が違うのだ。これを、言葉で考えてみよう。
肉体的観点 お金は、あるだけあったほうがいい。お金が沢山あれば、幸せに違いない。
魂体的観点 お金はあるとある分だけ、カルマが溜まりやすい。なければ、溜まりづらい。
霊体的観点 1円も、1000万も、等価である。どのモノも等しく素晴らしい。

魂体的な観点と、霊体的な観点は、その分屋の学習が必要なのだ。
魂体的観点で言えば、モノにはエネルギーがあるので、大きなエネルギーは、それだけの事をしないといけないのだ。
霊体的観点で言えば、全てのものが、有り難いのだ。等しく、感謝するものなのだ。

この三つの観点があるので、人の発言がわかりづらいのだ。私は、肉体的観点も大切に思いながらも、魂体的観点と、霊体的観点も忘れないようにしたいし、どの人も、それが一番自分を幸せにするのだ。その人に最適なお金の量というものがあるのだ。魂体的観点は、説明がしやすい。「お金の亡者になってしまったね」という例を出せる。霊体的観点は、一気にどのモノも、純粋フラットになるのだ。人間が作り上げた思想や価値観を無化するからだ。ここに、観術や一部の宗教学者が取り組んでいるのだ。だから、「私は、不動産なんかいらない。カルマを溜めやすいから」という魂体的視点と、「あったら、楽になるかな」という肉体的視点と、「世界に対して、最大活用できるかな」という霊体的な視点があるのだ。
私は、間違っていた。肉体を軽視してた。やはり、肉体・魂体・霊体、33%ずつが、適切なのだ。これからは、しっかり配分をまた愛していきたい。