お金の認識には、それぞれの体で認識が違うのだ。人間の体には、三重性がある、肉体、魂体、霊体である。それぞれ、見方が違うのだ。これを、言葉で考えてみよう。
肉体的観点 お金は、あるだけあったほうがいい。お金が沢山あれば、幸せに違いない。
魂体的観点 お金はあるとある分だけ、カルマが溜まりやすい。なければ、溜まりづらい。
霊体的観点 1円も、1000万も、等価である。どのモノも等しく素晴らしい。
魂体的な観点と、霊体的な観点は、その分屋の学習が必要なのだ。
魂体的観点で言えば、モノにはエネルギーがあるので、大きなエネルギーは、それだけの事をしないといけないのだ。
霊体的観点で言えば、全てのものが、有り難いのだ。等しく、感謝するものなのだ。
この三つの観点があるので、人の発言がわかりづらいのだ。私は、肉体的観点も大切に思いながらも、魂体的観点と、霊体的観点も忘れないようにしたいし、どの人も、それが一番自分を幸せにするのだ。その人に最適なお金の量というものがあるのだ。魂体的観点は、説明がしやすい。「お金の亡者になってしまったね」という例を出せる。霊体的観点は、一気にどのモノも、純粋フラットになるのだ。人間が作り上げた思想や価値観を無化するからだ。ここに、観術や一部の宗教学者が取り組んでいるのだ。だから、「私は、不動産なんかいらない。カルマを溜めやすいから」という魂体的視点と、「あったら、楽になるかな」という肉体的視点と、「世界に対して、最大活用できるかな」という霊体的な視点があるのだ。
私は、間違っていた。肉体を軽視してた。やはり、肉体・魂体・霊体、33%ずつが、適切なのだ。これからは、しっかり配分をまた愛していきたい。