verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

360度の大自由のアイデンティティの獲得 洗濯物

洗濯物をこまめに洗った方がいいか、大量に洗うのがいいか。
「どちらでもいい。」よりも、「洗濯物を、時と場合により、こまめにも、大量にもどちらにも使い分けて、洗えば良い」
なのだ。
「どちらでもいい」というのは、やはりどっち付かずの表現に聞こえてしまうのだ。「どちらにも使い分けろ」が、最適なのだ。

大自由の心は、強い自制心と表裏一体なのだ。
ここは、誤解しない方がいいのだ。私は、誤解していた。常に自制心を持つことなのだ。アイデンティティを、状況に応じて、自由自在に変化させるのだ。

私は、母に毎朝怒鳴るのだ。夕方に私は、怒鳴られるのだ。これが大切なのだ。怒鳴られるアイデンティティと、怒鳴るアイデンティティの変幻自在なのだ。
これが、うまくいく秘訣なのだ。家族の中で、誰か一人だけが怒らないキャラというのは、作るのはカルマなのだと伝えたい。

感謝は、動作中に、「ごめんなさい」一点に念じて、集中するのだ。神に、言葉数はいらないのだ。神は、人間の思考を全て、読み取れるのだ。

これも、マタイの、祈り方に載っているのだ。

今日の聖句
https://www.bible.or.jp/ai/cal/aidoku2016-09-11.html

今日の聖句

360度のアイデンティティを獲得してないから、圧力が来るのだ。

タバコを吸う。その動作の時に、つい感謝を忘れる。愛のエネルギーを、タバコを吸っている人に祈るのだ。ごめんなさい。ありがとう。ご近所に気を使って、タバコをベランダで吸わない時もあるのだ。思い直すことは、悔い改めになるのだ。ベランダの手すりに布団を干して、近所からクレームが入った。なので、ごめんなさいと共に、思い直すのだ。

旅館まきやまさんの四名様から、休憩パックは、1名から2名では、難しいと電話をしてわかった。この電話で確認を取る魔も勝利することだ。

自分の革靴を点検して、拭く。相手の革靴までやってあげるか、考える。教育者の場合、相手にその訓練を与える必要があるか気にするのだ。相手が獲得済みの場合は、遠慮なくやるのだ。私は、革靴の掃除をした。あまりやったことがないからだ。ごめんなさい。ありがとう。

大自由の心というのは、好き勝手やるという意味に誤解されやすい。私も誤解していた。そうではないのだ。
無意識マップの完成のために、進みたくても、自分の思い込みで進めないモノだけを、進めるためにあるのだ。

人生には、テレビゲームをしていい時間が決まっているのだ。私は、テレビゲームはしないのだ。やらなくていいのだ。そんな事よりも、やることはあるからだ。ただ、やってもいい自分も同時に認める事だ。その気分を感じる事は、大切なのだ。

大自由の心というのは、無意識マップの完成のためにあるのだ。完成を妨げる行動は、カルマになるのだ。