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力と生意気 純粋フラットの名前の意味

力で、押さえ付けるのだ。
生意気な人に対しては、それしかないのだ。私は、力で押さえ付けられた。生意気だったからだ。公安学をしっかり勉強した人は、力で押さえ付ける意味を理解している。法律を犯した子供は、少年院に行けば良いのだ。そこで、更正するきっかけが与えられている。そこで、更正するかしないかは、本人次第だ。

どんな人生を選んでも良いという、最大の愛と最大の罰の真理があるのだ。
私は、生意気だった。更正させてくれる人を求めていた。が、誰も更正させてくれなかった。だから、神が更正させるようになったのだ。珍しいパターンだ。必ず、身を切る覚悟は伝わるのだ。
やはり、この世は、純粋フラットだけなのだ。それ以外ないのだ。
私は、9時に寝て、1時に起きて、書類を整理した。3時40分に寝て、7時に起きた。二度起きた。それもいいのだ。昔は、できるだけ5時まで寝てようとばかりで、目が覚めても、寝ているばかりだった。それもありだが、目覚めた時は、何かをすれば良いのだ。
明日は、4時45分に起きよう。三時起きまで、もうまもなくだ。二月末までに、三時起きが定着してほしいのだ。
とにかく、何事も正直に魂に忠実になることで、うまくいくようになっているのだ。
私は、「暴力」の重要性を、家族にわかってほしいのだ。
躾なのだ。言うことを聞かない子には、暴力をふるって良いのだ。

エネルギー交換とカルマの法則なのだ。

肉体を美しくするのが、躾で、それには、ある意味、暴力も必要なのだ。
世界平和と暴力と、躾と暴力の微差がわかってない親が、増えない事を祈る。
「紛争で暴力が使われている。人が苦しんでいる。だから、自分も家族に暴力をふるう躾は、やめよう。となる。これは、飛躍があるのだ。紛争と家庭内暴力は違うのだ。勿論、ずっと恒常的に殴って良い、殴られて良いというわけではないのだ。
それは、自分が暴力をふるわれたくないチキンなのだ。ふるわれていいと思うことなのだ。」
やはり、聖書というのは、ちゃんと大量に勉強しないと、一面だけ捉えてしまうのだ。私は、バカだったので、ちゃんと大量に勉強しなかったので、ミスを犯したのだ。
要は、自分が取りたい部分だけ取る脳の仕組みにやられているのだ。簡単に言えば、反対の事が表現されている箇所がどこかしらにあるのだが、それを見ていないと、間違うのだ。
都合の良い箇所ばかり引用するトランプさんのようだ。
この世界は、本当に、純粋フラットと内外反転のみなのだ。

誤解して、自分を苦しめる人が減ってほしいと思うのだ。が同時に、苦しみも人生の試練なのだ。
やはり、文章では三行程度ないと、純粋フラットの意味合いを伝えられないのだ。喋りでは、両方伝えると、また時間がかかるのだ。
なぜ、純粋という言葉を抜けないかというと、フラットと内外反転だけではないかというと、どの人も純粋に向かっている方向性はあるのだ。
ただ、この「純粋」というのは、頭で考えるだけではわからないのだ。
フラットは、平衡に保とうとするもので、ブランコやメトロノームのようなイメージだ。内外反転は、行き過ぎたものは、是正される働きだ。

強い性欲が出たが、さすって、何とかセーブできた。これも、試練なのだ。向き合うことだ。
私は、上ばかり見ていたが、足下をしっかり見ることだ。日常生活の悔い改めが、一番大切なのだ。神のお陰で、このblogは、日常生活の悔い改めに繋がるものにしていただいた。
仕事というのは、大切なのだ。自分が罪を作る時間がなくなるからだ。勿論、仕事中に罪を作る場合も多い。が、それはプライベートよりマシなのだ。学生より社会人は、忙しくていいのだ。時間がないぐらいが、普通の自制心ぐらいの人が、罪を作らないで済むのだ。時間を持て余している方が罪を作りやすいのだ。ことわざにもある。自由な時間を持っている人は、それと同じくらい自制心が必要なのだ。