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車の運転と魔 お金or純粋意識とエネルギー交換

普通に車の運転にも、魔があるのだ。
まずは、運転を手伝っていただいた方に感謝したい。ありがとう。ごめんなさい。今は、どの駐車場でも、止められない場所はないのだ。ここまでくるのに、3年かかった。やはり、ペーパードライバーから、そこまでくるのは、三年かかるのだった。ごめんね。ありがとう。

さてさて、日常の魔に戻るが、
①「車でここで、切り返すかどうか」という魔もある。
②駐車の際に、色々な人が見ている時に、きっちりやれるかという魔もある。
③駐車場の警備員に見られても、車内で本を読む・瞑想をする魔もある。目に見えない存在を確認するには、静寂な場所が良いのだ。私は、車の運転席が、一番しやすいことに気が付かされた。確認がとりやすいのだ。シートのお陰だろう。

そうは言っても、毎回、勝負どころなのだ。
他の例としては、①しっかり駐車できなかった時に、また素直に失敗を認めて、またやり直すという魔もある。

このような魔に勝ち続けると、運転はうまくなるのだ。

私は、納車初日に、物損を駐車場で起こした笑 これを、言っていい人と悪い人がいるのだ。慣れてくると、そんな危なくないことに気付くのだ。うまくなれば、「昔は、当てたよ」と笑い話にできるからだ。だが、うまくないと笑い話にできないのだ。
わざとなのだ。これで、保険の仕組みと鈑金を、確認できた。
誰でもある一日に、車だけを運転していても、魔があるように設定されているのだ。
私は、仕事を辞めて、この事を確認したかったのだ。
どうも、無職になったことがある人しか、わからないのだ。

確かに、忙しい仕事人生にも魔はあるのだが、それはお金を貰うから、より強い魔が発生しているのだ。

お金には、エネルギーがあるから、その分しっかり働かないといけないのだ。これは、当たり前なのだ
なぜ、イエス・キリストは、「私かお金かをどちらを取るのか」と言ったか、わかった。やはり、どちらもとると、必要なエネルギー交換量がぐぐぐっと上がり、目まぐるしくなり、結局自分を苦しめるのだ。私は、よく何でお金持ちは、悪い人が多いのかと、ブーたれていたのだった。そういうことなのだ。

エネルギー測定器でもあれば、人は信じるのだろうか、、、。私も、初めてのモノは、信じないものだ。それが、、理性なのだ。探してみるのも良いだろうが、また時間を使ってしまう。結局、人は、自分が悟った部分しか、相手がどんなに研究した事を話しても、通じ合えないのだ。

仕事は、前向きに取り組むのに限るのだ。私は、仕事大好き人間なので、仕事をしている時が、一番充実しているのだ。
逆に、試練として、仕事をしない世界を確認しているのだ。
この事は、なかなかわかってもらえない。甘えているように見られる。正直甘えている時も多いからだ。甘えなければ良いのだ。が、かなりきついのだ。

一日の魔の調整について、私は、魔の研究をしているから、その事が、わかるのだ。「体感してみたら、わかるよ」としか、言えないのだ。
仕事をしていればいいという訳ではない視点も手に入れればいいのだ。ただ、私は仕事をしないのは、飽きたのだった。働くのだった。

霊体として、人は、誰でも何かを循環させているのだ。それは、どの人も純粋フラットなのだ。

肉体には、循環の活動量が、まるっきり違うように見えるのだ。子供とお年寄りの違いのようにだ。
だから、肉体は使うのに限るのだ。
要は、世間様は、何事につけても勉強不足なので、お釈迦様ではないので、やっているフリをする必要があるのだ。が、自分もドングリの背比べなのだ。

ただ、どうしても、人は自分の脳内の価値観に踊らされているのだ。その事に気付く人が増えてほしいのだ。

私は、今、世界中を旅したいのだ。だが、これも魔なのかもしれない。冷静な判別が必要なのだ。
よくよく考えれば、私ほど、奇想天外で、大自由な心を持っている人が、わざわざ、お金を払って、世界の現地体験をしても、いいのかと思う。
ここは、あまり解けていない。行ってないからだろう。胴着でも来て、歩いてみようか。カンボジアにでも、ボランティアに行こうか。

新しい発見は、あるだろう。悟っている人は、そんなに行動範囲を拡げないのかもしれない。
人間の構造は、変わらないからだ。
が、思い込みは外すに限るのだ。アルジェリアにでも、旅立つのもいいだろう。