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聖書の欺瞞 離婚 無意識世界の拡張方法

聖書には、嘘も書かれているのだ。あまりこういうのは書きたくなかった。が、神からそのような話を聞くようになったからだ。ただ、量が多いので、誰かに代わりにやってほしいのだ。

これは、非常に選別が難しいのだ。あらゆる魔に勝った人か、神の言葉を忠実に表現できる人しか、判別できないのだ。

ちなみに、俺自身は、あらゆる魔には、勝ってない。
が、神の言葉を忠実に再現しようというのは、人の何倍も努力している。また、正確な真意から外れた表現が嫌いなのだ。

「離縁してはならない」というのは、マタイマコルカにも載っている。が、これは、正確な真意から、かなり外れて書かれている。
やはり、この時代には、こういう表現をするしかなかったのだ。
が、現代では、変わる必要がある。離縁された、離縁したというのは、某かの理由があるのだ。
それは、お互いにとって、足りないものがあったのだが、それを補える関係ではなかったという事だ。
つまり、その離縁につながる、何かを、掴み取る事が大切なのだ。
例えば、物の管理がしっかりできてなかったから、離縁に繋がったというのもあるのだ。
神の事を軽視したから、離縁に繋がったというのもあるのだ。
つまり、お互いに気付き合えれば、それでいいのだ。
私は、私の自我自身は、完成しているわけではない。が、これは神からのイメージを伝達しているに過ぎない。

私は、離縁した経験があるので、とてもこの意味合いがわかるのだ。
が同時に、長らく離縁しなかった経験もあるのだ。
だが、やはりこの聖句は、イエスご自身の言葉ではないようだ。
というより、魂で聞いているかどうかのチェック機能を果たしているようだ。
魂で、聞いていると、某かの魔がある。頭でばかり聞いていると、某かの魔があるのだ。私のように、文字ばかり捉えていると、真意を見失うという警告なのだ。ごめんなさい。ありがとう。

離縁しないでおくと、気付ける範囲が広がるのだ。なかなか普通に一緒にいると、気付けないが、長らくいると気付けることもあるからだ。この意味合いもあるのだ。この時代は、そのような警告が必要な時代だったのだ。誰でも、多かれ少なかれ、離縁する時代なのだ。魂の躍動を感じることも必要なのだ。


キリスト教会の欺瞞について - 聖書とユダヤ

キリスト教会の欺瞞について - 聖書とユダヤ人


脳内の活動がキツいのだ。
地域のおばあちゃんに、勇気を持って、声をかけた。
その人の孫のために、プリペイトカードを渡した。が、カードはいらないって表現された。
モノで釣ったのは、良くなかった。
謝った。あまり、相手は、用はないのだ、引くことにした。
やっぱり、人に意識されるのが、認識されるのが、嫌な時もあるんだ。
急に親切にされると、不思議に思うのだ。有り難迷惑ならぬ、有り難くない迷惑なのだ。
ごめんなさい。ありがとう。

神からの進言というのを、リーダーは、皆に伝達する役目もあるが、それは、己に一番言っているというのを、頭だけだと捉えきれないのだ。気弱な人ほど、「それって、ひょっとして自分に言っているかも」と、沢山思うので、頭だ頭だとならないのだ。頭だけで捉えると、物事はうまくいかないと気付かせてくれた。ありがとう。ごめんなさい。魂は、愛し合いたいのだ。

わたしは、北海道の時鮭を、新潟コシヒカリの白いご飯で、頬張り、美味しい。
が、あまりに美味しいので、もう一匹時鮭を食べそうになった。
が、欲張りの魔に気付きやめた。ここで、素直にやめられるかどうかだ。半分こなのだ。半分この世界をしっかり維持するのだ。場合によっては、四分の一個でもいいのだ。
更に言えば、明日以降の次の機会に回すのだ。冷凍するのもいいだろう。このように、食べ物は、魔が多いのだ。明日も、朝4時45分に起きよう。


私は、何でも言い合える関係が良いのだ。だから、私は、家族にアダルトビデオで、性欲のコントロールを学ぶと伝えている。また、チンコを大きくしたいといい、ハゲを直したいという。国際結婚したいという。デブでブスな奥さんが欲しいという。ゲームの話をする。恋人の話をする。近親相姦ってどうなのかという話をする。不倫の話をする。花魁の話をする。何の話題をあげてもいいのだ。

わかってもらえなくても、良い自分を認めてあげるのだ。あまりに高尚な話題を喋るので、好き勝手にしゃべる訓練をするのだ。
思い込みが激しいと、ゲームと勉強なら、勉強の話の方が、聞くに値すると思い込んでいるのだ。私も、甘えていたが、そんなことないのだ。ごめんなさい。
どんな事も話題にあげて良いのだ。家庭は、公的な場ではないからだ。
死なれるよりマシなのだ。
そうすると、自分がただ思い込んでいただけな事に気が付かされる。どうせ言ってもな、こんな事言ったら、という風にだ。この魔があるのだ。
性欲の話題に関してもオープンな会話にしつつ、欲を抑えるトレーニングをすると、無意識世界が、拡張するのだ。
片方だけでは弱いのだ。ああ、10代で、早く知りたかったとため息をつく。

そして、誰でも、親しい中の人になら言えるというものになるが、家族に言えれば、まあ解決するのだ。
大抵の人間は、この話題は、この人。この話題は、この人と。分けるのだ。まあ、それでもいい。が、どこかに盲点ができるのだ。それがまずいのだ。いつか、それが内外反転して、辛くなってしまうのだ。ごめんなさい。ありがとう。
正直に、車の学科試験落ちたことを伝えれば、相手は実技試験落ちたことを話すのだ笑 それが、その人の無意識世界の詰まりを取るのだ。
私は、映画のような恋愛に憧れていたが、それはリアルでは大迷惑なのだ。ただ、深く見れば、その恋愛の気持ちを分かり合いたかっただけなのだ。映画で十分なのだ。現実でやると、大迷惑なのだ。無意識イメージは、映画でも良いのだ。私は、映画をしっかり見ていれば、無意識イメージを獲得できて、変わったのかもしれない。
恋愛も、悟りのためにあると頭で知ってしまったので、冷静に見てしまう自分がいるのだった。
親しき仲にも、礼儀ありなのだとも自戒をするのだ。 現実でギリギリセーフな線と、アウトな線というものがあるのだ。
①夢として、できる範囲と、②映画の世界の話で、アウトなラインというものがあるのだ。
車で、暴走するのはアウトかどうかというと、アウトとも言えないのだ。
が、映画のように逆送したら、アウトだ。
このように、アウトのラインというものがある。一度こんな事だったら、どうだろうと、考えるのだ。

追記
これもあまり書きたくなかった。やはり人は、文字面を捉えてしまうのだ。それは、当たり前なのだが、文字ではない無意識イメージを、魂で感じ合いたいのだ。魂には、ステージがある。なので、わざと魂だけで、キャッチできるかどうか頭だけで捉えていないかのチェックなのだ。
視覚情報の遮断法をして、無意識イメージの獲得なのだ。視覚情報の遮断は、目を瞑るのが最も良いのだが、慣れてくれば、目を開けたままでも、その感覚器官からの情報を入れずに、無意識イメージを隆起させることができるのだ。