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プレゼント学 最終結論版

プレゼントを、誰かにあげる際に、どのようなもの選ぶかというのは、色々ある。
私も、様々なプレゼント攻撃をよくしたものだ。
ただ、貰ったものは処理に困る。
手作りのモノだと、余計に困ってしまう。

ということは、
渡す際に「あげたものは、全部捨てて良いから」「誰かにあげてもいいから」と伝えるのだ。これが、究極のあげる側のプレゼント学なのだ。

これは、カルマを作らないのだ。物の管理をしっかりしないと、負のエネルギーが放出されるのは、以前にも書いた。
だから、貰ったもので、使わないものは、捨てるか、あげるか、使うか、どこかしらに循環させなければならないのだ。しなければならないという言葉は、あまり使いたくないが、結局その人のためにならない場合は、しなければならないという語感を使うようにしたい。

貰う方としては、基本的に、モノにも因るが、敬意をもって、捨てるに限るのだ。本人に返すのもいいが、関係によるだろう。

いつまでも、同じものを置いていると、循環にならないからだ。
だから、熊手等は、神社にお返しするのだ。「熊手返すの忘れたと周囲に伝えるのは良いことなのだ。少しバカみたい魔があるが、それはそれでいいのだ。
どの人もこの人には、これを言いたくないという魔がある。
結構負けているのに、私は気付くのだった。まあ言わないのだが笑

必要なものだけ、視覚に入れれば良いのだ。が、公共の場に関しては、皆で決めるものだ。

プレゼントも、悟りのためにある。また、人間関係の構築にあるのだ。


バレンタインのチョコも、うまく色々回すのだ。バレンタインのチョコは、一口食べる。そして、本人や友達に渡すようにする。そうすると、分け合えば、余るのだ。全部食べないといけないという思い込みを解除し、誰かに渡してはいけないという思い込みを解除し、食い意地を張らないという魔に勝ち、失礼をなくすという魔にも勝つ。そうすると、うまくいくのだ。
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