見知らぬ人への魔 温泉、コーヒー店の例

温泉施設には、どんな魔があるだろうか?
温泉に行った。
ここでは、様々な魔がある。
温泉のお掃除のおばちゃんに、マッパで、トイレはどこか聞く魔があった。
ちっちゃい女の子と目を合わせる魔もあった。
人の落とし物を、すぐ渡す魔もあった。
警備員の人に話しかける魔、正直に、違う場所に止めているから、困るというのを話す魔。
アンケート用紙に答える魔
自分がタバコを吸わなくても、喫煙所にいく魔。
正直に受付の人に、事情を説明する魔。
すぐ他の人にサウナを譲る魔もある。
温泉では、ほぼ魔と戦うものがなくなってしまった。
ごみ拾いをして、帰るのだった。
可愛い子を見つめる魔もある。
どの状態にも、自分を転移できるかどうかなのだ。

人は、なかなか悪口を受け入れられないが、受け入れる心の広さが、自分を苦しめないのだ。

やはり、クラリネットの音が、私は好き
だ。真面目に言葉で表現しても、面白くないのだ。
究極の実在を、音楽で表せたら、素晴らしいのかもしれない。モーツアルトの曲のように、聴覚だ。
ただ、よく言われる高い波長の楽譜だけでは、なかなか難しいのかもしれない。
やはり、誰もが私のように、目で、瞑想で、見たいのかもしれない。

が、味覚で伝えるのも、究極の実在のイメージの一部を、究極の頭だけじゃないのかもしれない。

ウィローという植物エキスのように、嗅覚もいいのかもしれない。触覚もあるかもしれない。
最高結晶体のイメージだ。魂が喜ぶものだろう
無意識マップなら、できるはずだ。究極の実在のイメージを、味やらで伝えることも。
コメダコーヒーのアイスミルクコーヒーで、何か見付けられないか苦労するのだった。リラックスしきるというのも、また必要なのだ。
私は、本が成功するまで、人に会わないというの魔も、圧迫のためだが、結構きついものなのだ。

魔というのは、それぞれの人が見つければ良いのかも知れないとも思うのだった。
誰かの何かを守るために、人は生きるのが幸せなのだろう。
私は、昼になかなか歩くのが大変なおばあちゃんに、声をかける魔があった。
そう、なかなか人は声をかけないのだ。かけてもらうと、とても嬉しいのだ。
そして、過去の楽しい思い出を話してもらうのだ。
誰もが、自分の人生を認めたいのだ。おばあちゃん孝行は、こういう地域の人にも、していければいいと思うのだ。
ビジネスライクの思考だと、売り上げに繋がるかというものばかりだが、それでは、声をかけないのだ。
私も、一切声をかけなかったビジネスマン時代がある。が、声をかけた方がいいと思った時は、かけてもいいのだ。

さて、音楽にリズムを刻めば、楽しい躍動になる。ただ、楽しい顔が見たいだけなのだった。いや、自分も楽しくなるからだろう。
魂の時間調整は、バッチリなのだ
やはり、思考哲学をずっとやってよかったかも知れない。バック走をしながら、自然を見るというのもあるのだ、これは、躍りなのだ。やはり、家族といるのが自然体なのだ。家族で出せるものが、自然体なのだ。
一人の生活を極めれば、全ての人ともうまくいくのだ
私は、色々な人の事を考えてしまう癖があった。すごく辛いのだ。
だが、どうすればそれができるか、魂を磨きあげれば良いのだ。そうすると、自然と、普通の時間軸でも、うまくいくようになっているのだ。
私は、ずっと葛藤した。愛し合いたいだけなのだ。別の側面では、魂に誰もが忠実なのだ。が、誰もが、愛し合うことができるのだ。
コメダコーヒーに、ごみ拾いをしたごみを店員に申告する魔にも勝てた。この一瞬のやりとりの連続なのだ。ちゃんと周りを見ておくことだ。ごめんなさい。ありがとう。
ただ、私はお寺の住職に、昔のような純粋な気持ちを持ってほしかっただけなのだ。だから、相手が言っている準備というのも、必要だという視点は、重々承知なのだ。ごめんなさい。ありがとう。ただ、自己防衛には走って、他を疎かにしては、自分を苦しめるだけなのだ。今は、スマホで大概調べられるが、逆に現地の人との対話がなくなったり、遅くなったりするのだ。自分でいる時間に、どれだけ楽しめるかなのだ。
一瞬でも、大黒摩季さんの歌が聞けるかどうかなのだ。人間は、色々気を配ることが動物との違いなのだろう。繊細で広い心を持っていたい。自分のコミュニケーションの失敗も反省して、頭で変えていくのだ。
状況、状況で立場を転移するのが、必要なのだ。どの人の気持ちにも転移すると面白い。
家族四人だと、面白いのだ。どの人も個性を活かしている。時折、素直になることだ。やはり、何事も楽しむことなのだ。一つ一つの動作で、お返しをするのだ。どの人も、活かし合えるのだ。ちょうどいいバランスになるのだ。時たま、神に感謝するのだ。焼き肉でも、ケーキでも、楽しめるのだ、ありがとう。ごめんなさい。私は、いつもわがままだった。活動が大切なのだ。マナーが大切なのだ。
テンイドライブは、どこでも近場でもできるのだ。
自分が、どこでも受け身が取れるようにするのだ。何か嫌な気持ちになった時には、神に聞けば良いのだ。
魂は、愛し合いたいのだ。
やはり、味覚で、伝えるのは、難しいかもしれないと思ったものだ。聴覚も、難しそうだ。触覚も難しそうだ。嗅覚も難しそうだ。視覚なのかもしれない。
やはり、同じような魂で、感じるものなのかもしれない。私は、天衣無縫の術とは、もっと力強く荘厳なイメージだったが、もっと柔らかなものであったのだ。頭で頭でばかり行動してると、見失うのだ。だが、やはり頭も大切なのだ。笑い会いたいのだ。私の家族に、笑いが絶えなくなったのは、魂のお陰なのだ。みんなが、困難に打ち勝っているからだ。どの人も、支え合っているのだ。普通が一番なのだ。普通でいられることは、とても有り難いのだ。私は、その事を教えてもらった。決めなければ、うまくいくのだ。私は、考えてしまった。考えなくてもいいのだ。それが、家族なのだ。だから、いがみ合ってもいいのだ。どれでもいいのだ。私は、今日も楽しく生きられている。それは、有り難いのだ。ごめんなさい。手伝わなくて。弱核力も、極みまでいけば、面白いのだ。
歩調を合わせるのも、大切なトレーニングなのだ。
家族間の魔がどのように、あるか色々と伝えたいのだが、いかんせん自分も当事者だと、内容を整理するのは、難しいのだ。
わかりやすいラインとしては、誰もが、笑い合えていれば、それでいいのだ
が、どこかで、当事者になりながらも、俯瞰した中継ができる日が来てほしいと思うのだった。焼肉屋でも、色々な楽しみ方があるのだ。