究極の実在と神と悪魔 検証の余地

究極の実在は、善悪を超越している。
ただ、これはまだ完全には、俺は悟ってないので、最終結論にはできない、無意識マップなのだ、何でもかんでも、最終結論にすると、やはり信用を失うのだ、。無意識マップを検知して、ああ、ここは進んでないというのは、適切に伝えていく必要がある。

が、人格神と人格悪魔は、魂に扇動させるのだ。ここが違いなのだ。むしろ、人格神と人格悪魔が、協力していると言える。どうやって、この者達に、私達の存在を知ってもらうようにするかというものである。だが、人間には知る必要があるのだ。それは、人間に生まれたから、必然なのだ。色々な方法で知ってもらおうとするのだ。それは、人間のためでもあるのだ。
私は、魔ということは使っているが、悪魔という表現は、あまり好きではないのだ。それは、苦を悪魔と捉えると、頭が痛くなるように作られているのだ。この神というのは、どのような表現になっているか、人というのは違うのだ。
①この世界の全てのものを神と呼んでいるのか、②人間にとって都合が良い動きを神と呼ぶのか、人によって違うのだ。
ここは、だいぶ統一が取れていない箇所なのだ。自分の頭が痛くなるのは、誰もが嫌だが、それがその人のためになってもいるのだ。人間は、頭でっかちだ。私も、とても頭でっかちだ。
だから、色々と、自分を見失うのだ。心がなぜ、大事かというのを、考えるのだ。そうすれば、頭でっかちが解消されるのだ。自分で作った頭でっかちで、自分を苦しめているのだ。魂は、頭にある。頭が頭が頭が魂なのだ。心と、魂は頭で一緒に連動しているのだ。