verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

究極の実在と神と悪魔 検証の余地

究極の実在は、善悪を超越している。
ただ、これはまだ完全には、俺は悟ってないので、最終結論にはできない、無意識マップなのだ、何でもかんでも、最終結論にすると、やはり信用を失うのだ、。無意識マップを検知して、ああ、ここは進んでないというのは、適切に伝えていく必要がある。

が、人格神と人格悪魔は、魂に扇動させるのだ。ここが違いなのだ。むしろ、人格神と人格悪魔が、協力していると言える。どうやって、この者達に、私達の存在を知ってもらうようにするかというものである。だが、人間には知る必要があるのだ。それは、人間に生まれたから、必然なのだ。色々な方法で知ってもらおうとするのだ。それは、人間のためでもあるのだ。
私は、魔ということは使っているが、悪魔という表現は、あまり好きではないのだ。それは、苦を悪魔と捉えると、頭が痛くなるように作られているのだ。この神というのは、どのような表現になっているか、人というのは違うのだ。
①この世界の全てのものを神と呼んでいるのか、②人間にとって都合が良い動きを神と呼ぶのか、人によって違うのだ。
ここは、だいぶ統一が取れていない箇所なのだ。自分の頭が痛くなるのは、誰もが嫌だが、それがその人のためになってもいるのだ。人間は、頭でっかちだ。私も、とても頭でっかちだ。
だから、色々と、自分を見失うのだ。心がなぜ、大事かというのを、考えるのだ。そうすれば、頭でっかちが解消されるのだ。自分で作った頭でっかちで、自分を苦しめているのだ。魂は、頭にある。頭が頭が頭が魂なのだ。心と、魂は頭で一緒に連動しているのだ。