verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

間違った方向 神

神は、間違った方向に行っても、助けてくれない。いや、猛烈に助けてくれているのだが、自分達で、より間違った方向に向かってしまうのだ。
これを、自戒の意味で、「神は、間違った方向に行っても、助けてくれない」のだ。これが、真実なのだ。
残念ながら、そうなのだ。「気付かない貴方が悪いのです」
気付かなくて、ごめんなさい。気付かせてくれて、ありがとう。
「助けてクレー」は、おかしいのだ。十二分に神は助けているのだ。だから、悔い改めないあんたが悪いのだ。自業自得なのだ。神を責めるのは、やってはいけない行為なのだ。
自分が全て悪いのだ。私は、メッセージをしっかり受け取らなかった。だから、間違った道にいった。だが、全ての存在からすれば、それも愛してくれているのだ。どれも、勉強なのだ。自分が嫌な道も受け入れるのだ
嫌な道になりたくないなら、その分そうならないように努めれば良い。が、どうせ嫌なことは起こるのだ。それが、人間の宿命だ。
私は、神を責めた過去がある。
が、私は、神を責めることはしない。
ごめんなさい。ありがとう。
私は、高校生の時に、バイトをしたかった。だが、母は、反対した。自分の思い込みが激しい人なのだ。私は、そこでカルマを作った。人というのは、最低限の事をしていればいいというわけではないのだ。私は、学校に通うだけだった。だが、それではダメだった。間違いに気付かないまま、親の言いなりになっていた。そして、浪人している時に、アルバイトを始めた。こんなに働くのは楽しいのかと、思ったものだ。ごめんなさい。ありがとう。確かに人生は、自由に生きて良いのだが、生きても、自分を不幸にする生き方があるのだ。それは、自分のためにならない。同級生に、ごめんなさい。神に気付かせてくれて、ありがとう。
どの人も、自分の魂の声に、素直に純粋に従えば良いのだ。
私の母は、いつまでも傲慢だ。性懲りもなく、罪を犯し続けている。自分が支配した事が、相手にとって、不幸にさせていることに、気付いていない。だから、私は、仕事で嫌な目に遭った。それは、因果応報なのだ。ごめんなさい。ありがとう。
ただ、私が甘えていた。自分で分別すればいいだけだったのだ。
と人を責める前に自分を律することである。神が間違った方向に進ませる場合も時にはあるのだ。それは、人間にとって修行の嫌なことなのだ。