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究極の実在まで辿り着く方法

オカルト

ある意味このblogの総決算のテーマである。長らくお待たせした部分である。
究極の実在まで辿りつく方法である。
究極の実在とは、この世界の超越した俯瞰した存在を知れるということだ。

今後は、より精密に辿り着けるマップを作成できるだろう。

究極の実在(別名、オリジナルスピリッツとでも呼ぼう)まで、
どのような最低条件があるのか?整理整頓してみた。

①神仏等の見えない存在を信じ切ること
量子力学等の科学現象を考察すること
③深い瞑想状態ができるトレーニングをすること(意識をシャットダウンする必要がある)
④純粋な気持ちで、ありとあらゆるものに感謝の気持ちを持つこと
⑤思いこみをトコトン外すこと
⑥自分でも、究極の実在に辿り着けると信じ抜くこと
⑦自身のカルマをできるだけ刈り取ること(自身のカルマが邪魔して、一番最深部に到達できないため。)
この7つの項目を長くやっていくと、どうやら辿り着けるようだ。

私も、辿り着くまでに、相当の時間を費やした。
起きている状態、深い瞑想状態、睡眠時の状態で、見せていただけるのだ。ありがたい事である。
究極の実在の動きとは、何かというのは、「ある3Dイメージ」としか表現しづらいのだ。
お釈迦様が見たイメージもおそらく、同じだろう。
ピカソの絵を、全体で捉えられないのと同じなのだ。一部分、一部分捉え直して、全体像を再構築していく行為と同じなのだ。

ちなみに、②の量子力学に関しては、「全貌を理解しろ」という訳ではない。量子力学をお釈迦様が見たわけではないのだ。だが、現代人は、一定の量子力学も勉強する必要があるのだ。また、人は、そのイメージを動画で見ても、結局意味が繋がらないのだ。
仮に、色々理屈をつけて、そのイメージはこれと、
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あったとしても、意味がわからないと、あまり意味がないのだ。
「あー、これなのか」という腑に落ちなければ意味がないのだ。論理的に辻褄を、合わせていく必要があるのだ。イメージも必要なのだ。

究極の実在に繋がる何かを探そうという気持ちで、物理現象を見ることを一定量すればいいのである。
例えば、「もし究極の実在が止まっているのであれば、細胞が分裂するのは、おかしいのではないか」という疑問や、「なぜ宇宙は膨張しているのか」という疑問や、「何かが増幅するのは、なぜか」という疑問などである。
そのような疑問を持つと、目の前の世界に、それらしいヒントがたくさん出されてくるのだ。例えば、水を浸した鍋に火をつけると、泡が沸騰する。そうすると、何かしら力が働かないと、何かが動くというものはない事に気が付かされる。また、水の鍋を上下に移動させると、泡が増幅するのがわかるだろう。このようにして、究極の実在が、何らかの「動きでなければおかしい」という視点を手に入れられる。

次に、①に関しては、「なぜ神等の見えない世界を信じ抜く必要があるか」というと、オリジナルスピリッツが別次元の存在であるからである。また、「最初からそんなのありえない」と決め込むと、それから先の無意識マップが進まないのだ。目の前の物理現象のみに、フォーカスすると、見えないのだ。

次に、③に関しては、深い瞑想状態にならないと、普段の記憶層が入り乱れて、その一番深いイメージを呼び起こせないのだ。私は、瞑想のトレーニングを受けたわけではないが、なんとなく目を瞑る癖をつけていたから、自然とそれが瞑想になっていた。よく寝ていたのも功を奏した。家族に、ごめんなさいありがとう。

次に、④に関しては、やはりそのような世界を引き寄せるには、普段から感謝をしている必要があるのだ。そうすると、自然と味方をしてくれるのだ。

次に、⑤に関しては、自分勝手な思いこみにより、イメージが固定されてしまうのだ。だから、すべての思いこみを解除する必要があるのだ。このすべてというのは、その人自身にとって、すべてという意味である。例えば、時間があるという思いこみも外す必要がある。
例えば、「究極の実在って、こんな精霊のイメージかな?」という思い込みだ。だいたい過去にどこかやネットで見た何かの絵のイメージだろう。これが、邪魔するのだ。見えない存在は、その人が信奉するイメージを脳内に見せてくれる働きかけがあるからだ。「イエス・キリストも、こういうイケメんだろう」とかである。思い込みが邪魔をするのだ。イエスに怒られてしまう、ごめんなさい。使わせていただいて、ありがとう。

次に、⑥に関しては、やはり長らくやっていく必要があるからだ。時間を投資しなければ、見ることはできないのだ。脇目もふらずにすると、目処が自然と立つのだ。

次に、⑦に関しては、やはり自分のカルマが邪魔をして、精神の最深まで、たどり着けないからだ。だから、刈り取りをする必要がある。

以上の事をすれば、自然と見えるようにしていただけるのだ。
神とは、意識体や情報体のようなものなのだ。あるものを認識した瞬間に、何かが変わるのだ。魂次元のやりとりが関知できると、今何かが動いているのをキャッチできるのだ。また、ピカソの絵のようなものを、どの意識層から取り出すと、このようなインスピレーションになるというのもあるのだ。
同じインスピレーションは、同じところからひっぱているのだ。このようなものを意図的に作り出すのを、イメージ言語と呼ぶのだろう。
このイメージとこのイメージとこのイメージが合わさると、こんなイメージを呼び起こせるというものだ。
絵画というのは、多量のイメージの結集体なのだ。
必ず、その書いている人は、あるイメージとあるイメージを結集しているのだ。それで、作品が出来上がる。出来上がったものを見ると、イメージの結集の構造がわからないから、「なんか、すごい。こんなの描けない」となるのだ。無意識マップというのは、ある意味イメージの結集体なのだ。

7.”究極の実在”との合一 : ☆ 月月・日日につより給へ ☆

7.”究極の実在”との合一 : ☆ 月月・日日につより給へ ☆


究極の実在(主の働き)を、相手にイメージ化させるには、とても高いハードルがありそうだ。
が、もう3Dアニメーションで作って見せるのもありだなと思ってきたところだ
どうせ人は信用しないので、調べる人は、他の科学現象のイメージを調べるからだ。結論から知っても、やはり序論が欲しくなるのだ。 数学で証明されたものを、また魂で見たいのだ。どうやら、203○後半辺りに、目に見えない存在が、数学的に証明されるようだ。が、これは、信じなくて良いものだ。私には、数学的に証明できる頭脳はないと教えていただいているので、他の人が完成してくれる事を切に願うのだ。どの人も、そのイメージを獲得してほしいからだ。

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イメージ図として、この目玉焼きにも、その究極の実在が、増幅するイメージがある。この目玉焼きは、固定の数だが、実際は、剰余が発生し続けているのだ。気泡のような、剰余発生だ。


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「②量子力学等の科学現象を考察すること」に繋がるものだ。
この水が滴れるイメージにも、究極の実在が、動いているイメージがある。
「ただの水が落ちている」というのが、普通の意識の器で見た場合なのだ。全てが繋がってくると、そこにも、究極の実在の働きを意味付けることができて、感謝が絶えないのだ。やはり、膨大なイメージを見せる必要があるのかもしれない。
いったいどうすれば、主の働きを、魂で見抜けるようになるのだろうか。沢山のイメージを怒濤に見せることなのかもしれない。それがいつか、一つに纏まるのかもしれない。みんなで、力を合わせればできるはずだ。
やはり、私の意識がスイッチしている事は、ああああ、なかなか気付かれないのだった。だが、まだまだ始まったばかりだ。小学生にも、わかるイメージにするにはどうすればいいかと考える。
イナズマイレブンの必殺技も鍵になるのだ。が、やはり一瞬で掴めるには、魂が高められていないと、難しいようだ。ごんなさい。ありがとう。やはり、すべてのもの、、、有り難いのだった。主は、「呼んでいるのだ」。愛し合いたいのだ。

究極の実在は、動きなのだ。
人間の脳は、ずっと反復している超スピードの動きを捉えられないのだ。
つまり、ビデオも、写真が連続的に反映しているのだが、写真とは思えないのと一緒だ。これが、脳の錯覚芸術なのだ。そこまで、発達させてないのだ。
無意識言語を、しっかり頭で考えることも必要そうなのだ。
また、究極の実在の動きは、どんどん増幅している。火をつけた鍋を手で上下に振動させたときの、泡の力動の動きなのである。

【宇宙の法則】真理が現れた時に業が消える | 佐藤康行公式ブログ|人の心と宇宙意識~真我の覚醒

http://satoyasuyuki.com/blog/?p=341

【宇宙の法則】真理が現れた時に業が消える | 佐藤康行公式ブログ|人の心と宇宙意識~真我の覚醒

「⑦自身のカルマをできるだけ刈り取ること」に繋がるものだ。


何やら、究極の実在の動きを作っている人が他にもいるそうだ。
私の存在意義は、と落ち込むのだった。最近は、また、究極の実在の動きを、何度も見せてくれるのだった。
究極の実在の動きイメージというのは、何というか、複雑と言えば、複雑なのだが、シンプルと言えば、シンプルなのだ。
が、やはり、科学現象や日常生活とリンクさせるのが、いいのだ。 これからは、より顕著にそのような時代になるだろう。
本人が、見つけるのが一番良いのかもしれない。