verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

究極の実在まで辿り着く方法 即身成仏

ある意味このblogの総決算のテーマである。長らくお待たせした部分である。
究極の実在まで辿りつく方法である。
究極の実在とは、この世界の超越した俯瞰した存在を知れるということだ。
追記


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究極の実在は、この三つの画像が両立するイメージ言語なのだが、3dにするには、少し時間がかかるので、これぐらいにしとこう。


今後は、より精密に辿り着けるマップを作成できるだろう。

究極の実在(別名、オリジナルスピリッツとでも呼ぼう)まで、
どのような最低条件があるのか?整理整頓してみた。

①神仏等の見えない存在を信じ切ること
量子力学等の科学現象を考察すること
③深い瞑想状態ができるトレーニングをすること(意識をシャットダウンする必要がある)
④純粋な気持ちで、ありとあらゆるものに感謝の気持ちを持つこと
⑤思いこみをトコトン外すこと
⑥自分でも、究極の実在に辿り着けると信じ抜くこと
⑦自身のカルマをできるだけ刈り取ること(自身のカルマが邪魔して、一番最深部に到達できないため。)
この7つの項目を長くやっていくと、どうやら辿り着けるようだ。

私も、辿り着くまでに、相当の時間を費やした。
起きている状態、深い瞑想状態、睡眠時の状態で、見せていただけるのだ。ありがたい事である。
究極の実在の動きとは、何かというのは、「ある3Dイメージ」としか表現しづらいのだ。
お釈迦様が見たイメージもおそらく、同じだろう。
ピカソの絵を、全体で捉えられないのと同じなのだ。一部分、一部分捉え直して、全体像を再構築していく行為と同じなのだ。

ちなみに、②の量子力学に関しては、「全貌を理解しろ」という訳ではない。量子力学をお釈迦様が見たわけではないのだ。だが、現代人は、一定の量子力学も勉強する必要があるのだ。また、人は、そのイメージを動画で見ても、結局意味が繋がらないのだ。
仮に、色々理屈をつけて、そのイメージはこれと、
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あったとしても、意味がわからないと、あまり意味がないのだ。
「あー、これなのか」という腑に落ちなければ意味がないのだ。論理的に辻褄を、合わせていく必要があるのだ。イメージも必要なのだ。

究極の実在に繋がる何かを探そうという気持ちで、物理現象を見ることを一定量すればいいのである。
例えば、「もし究極の実在が止まっているのであれば、細胞が分裂するのは、おかしいのではないか」という疑問や、「なぜ宇宙は膨張しているのか」という疑問や、「何かが増幅するのは、なぜか」という疑問などである。
そのような疑問を持つと、目の前の世界に、それらしいヒントがたくさん出されてくるのだ。例えば、水を浸した鍋に火をつけると、泡が沸騰する。そうすると、何かしら力が働かないと、何かが動くというものはない事に気が付かされる。また、水の鍋を上下に移動させると、泡が増幅するのがわかるだろう。このようにして、究極の実在が、何らかの「動きでなければおかしい」という視点を手に入れられる。

次に、①に関しては、「なぜ神等の見えない世界を信じ抜く必要があるか」というと、オリジナルスピリッツが別次元の存在であるからである。また、「最初からそんなのありえない」と決め込むと、それから先の無意識マップが進まないのだ。目の前の物理現象のみに、フォーカスすると、見えないのだ。

次に、③に関しては、深い瞑想状態にならないと、普段の記憶層が入り乱れて、その一番深いイメージを呼び起こせないのだ。私は、瞑想のトレーニングを受けたわけではないが、なんとなく目を瞑る癖をつけていたから、自然とそれが瞑想になっていた。よく寝ていたのも功を奏した。家族に、ごめんなさいありがとう。

次に、④に関しては、やはりそのような世界を引き寄せるには、普段から感謝をしている必要があるのだ。そうすると、自然と味方をしてくれるのだ。

次に、⑤に関しては、自分勝手な思いこみにより、イメージが固定されてしまうのだ。だから、すべての思いこみを解除する必要があるのだ。このすべてというのは、その人自身にとって、すべてという意味である。例えば、時間があるという思いこみも外す必要がある。
例えば、「究極の実在って、こんな精霊のイメージかな?」という思い込みだ。だいたい過去にどこかやネットで見た何かの絵のイメージだろう。これが、邪魔するのだ。見えない存在は、その人が信奉するイメージを脳内に見せてくれる働きかけがあるからだ。「イエス・キリストも、こういうイケメんだろう」とかである。思い込みが邪魔をするのだ。イエスに怒られてしまう、ごめんなさい。使わせていただいて、ありがとう。

次に、⑥に関しては、やはり長らくやっていく必要があるからだ。時間を投資しなければ、見ることはできないのだ。脇目もふらずにすると、目処が自然と立つのだ。

次に、⑦に関しては、やはり自分のカルマが邪魔をして、精神の最深まで、たどり着けないからだ。だから、刈り取りをする必要がある。

以上の事をすれば、自然と見えるようにしていただけるのだ。
神とは、意識体や情報体のようなものなのだ。あるものを認識した瞬間に、何かが変わるのだ。魂次元のやりとりが関知できると、今何かが動いているのをキャッチできるのだ。また、ピカソの絵のようなものを、どの意識層から取り出すと、このようなインスピレーションになるというのもあるのだ。
同じインスピレーションは、同じところからひっぱているのだ。このようなものを意図的に作り出すのを、イメージ言語と呼ぶのだろう。
このイメージとこのイメージとこのイメージが合わさると、こんなイメージを呼び起こせるというものだ。
絵画というのは、多量のイメージの結集体なのだ。
必ず、その書いている人は、あるイメージとあるイメージを結集しているのだ。それで、作品が出来上がる。出来上がったものを見ると、イメージの結集の構造がわからないから、「なんか、すごい。こんなの描けない」となるのだ。無意識マップというのは、ある意味イメージの結集体なのだ。

7.”究極の実在”との合一 : ☆ 月月・日日につより給へ ☆
http://blog.livedoor.jp/koko0310-kensan/archives/1022184132.html

http://blog.livedoor.jp/koko0310-kensan/archives/1022184132.html


究極の実在(主の働き)を、相手にイメージ化させるには、とても高いハードルがありそうだ。
が、もう3Dアニメーションで作って見せるのもありだなと思ってきたところだ
どうせ人は信用しないので、調べる人は、他の科学現象のイメージを調べるからだ。結論から知っても、やはり序論が欲しくなるのだ。 数学で証明されたものを、また魂で見たいのだ。どうやら、203○後半辺りに、目に見えない存在が、数学的に証明されるようだ。が、これは、信じなくて良いものだ。私には、数学的に証明できる頭脳はないと教えていただいているので、他の人が完成してくれる事を切に願うのだ。どの人も、そのイメージを獲得してほしいからだ。

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イメージ図として、この目玉焼きにも、その究極の実在が、増幅するイメージがある。この目玉焼きは、固定の数だが、実際は、剰余が発生し続けているのだ。気泡のような、剰余発生だ。


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「②量子力学等の科学現象を考察すること」に繋がるものだ。
この水が滴れるイメージにも、究極の実在が、動いているイメージがある。
「ただの水が落ちている」というのが、普通の意識の器で見た場合なのだ。全てが繋がってくると、そこにも、究極の実在の働きを意味付けることができて、感謝が絶えないのだ。やはり、膨大なイメージを見せる必要があるのかもしれない。
いったいどうすれば、主の働きを、魂で見抜けるようになるのだろうか。沢山のイメージを怒濤に見せることなのかもしれない。それがいつか、一つに纏まるのかもしれない。みんなで、力を合わせればできるはずだ。
やはり、私の意識がスイッチしている事は、ああああ、なかなか気付かれないのだった。だが、まだまだ始まったばかりだ。小学生にも、わかるイメージにするにはどうすればいいかと考える。
イナズマイレブンの必殺技も鍵になるのだ。が、やはり一瞬で掴めるには、魂が高められていないと、難しいようだ。ごんなさい。ありがとう。やはり、すべてのもの、、、有り難いのだった。主は、「呼んでいるのだ」。愛し合いたいのだ。

究極の実在は、動きなのだ。
人間の脳は、ずっと反復している超スピードの動きを捉えられないのだ。
つまり、ビデオも、写真が連続的に反映しているのだが、写真とは思えないのと一緒だ。これが、脳の錯覚芸術なのだ。そこまで、発達させてないのだ。
無意識言語を、しっかり頭で考えることも必要そうなのだ。
また、究極の実在の動きは、どんどん増幅している。火をつけた鍋を手で上下に振動させたときの、泡の力動の動きなのである。

【宇宙の法則】真理が現れた時に業が消える | 佐藤康行公式ブログ|人の心と宇宙意識~真我の覚醒

http://satoyasuyuki.com/blog/?p=341

http://satoyasuyuki.com/blog/?p=341

「⑦自身のカルマをできるだけ刈り取ること」に繋がるものだ。


何やら、究極の実在の動きを作っている人が他にもいるそうだ。
私の存在意義は、と落ち込むのだった。最近は、また、究極の実在の動きを、何度も見せてくれるのだった。
究極の実在の動きイメージというのは、何というか、複雑と言えば、複雑なのだが、シンプルと言えば、シンプルなのだ。
が、やはり、科学現象や日常生活とリンクさせるのが、いいのだ。 これからは、より顕著にそのような時代になるだろう。
本人が、見つけるのが一番良いのかもしれない。

追記
究極の実在の対になる可能性がある絶対無の世界も可能性も噴出したが、便宜上は、究極の実在と呼ぼう。
また、究極の実在に関して、深い瞑想修行を他の人に指導したが、なかなか難易度が高いことが可能性としてはある。
創造の外側がどうなつっているかは不明である。絶対無があるのかもしれないが、法則的にはないだろう。


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宇宙論を数学から追っている。



究極の実在まで辿りつく方法
究極の実在まで、
どのような最低条件があるのか?
①神等の見えない存在を信じ切ること
量子力学等の科学現象を考察すること
③深い瞑想状態ができるトレーニングをすること
④純粋な気持ちで、ありとあらゆるものに感謝の気持ちを持つこと
⑤思いこみをトコトン外すこと
⑥自分でも、辿り着けると信じ抜くこと
⑦自身のカルマをできるだけ刈り取ること
この⑦点を長くやっていくと、どうやら辿り着けるようだ。私も、辿り着くまでに、相当の時間を費やした。起きている状態、深い瞑想状態、睡眠時の状態で、見せていただけるのだ。ありがたい事である。
②の量子力学に関しては、「全貌を理解しろ」という訳ではない。究極の実在に繋がる何かを探そうという気持ちで、物理現象を見ることを一定量すればいいのである。例えば、「もし究極の実在が止まっているのであれば、細胞が分裂するのは、おかしいのではないか」という疑問や、「なぜ宇宙は膨張しているのか」という疑問や、「何かが増幅するのは、なぜか」という疑問などである。そのような疑問を持つと、目の前の世界にそれらしいヒントがたくさん出されてくるのだ。例えば、水を浸した鍋に火をつけると、泡が沸騰する。そうすると、何かしら力が働かないと、何かが動くというものはない事に気が付かされる。また、水の鍋を上下に移動させると、泡が増幅するのがわかるだろう。このようにして、究極の実在が、何らかの「動きでなければおかしい」という視点を手に入れられる。
次に、①に関しては、「なぜ神等の見えない世界を信じ抜く必要があるか」というと、究極の実在が別次元の存在であるからである。また、「最初からそんなのありえない」と決め込むと、それから先の無意識マップが進まないのだ。目の前の物理現象のみに、フォーカスすると、見えないのだ。
次に、③に関しては、深い瞑想状態にならないと、普段の記憶層が入り乱れて、その一番深いイメージを呼び起こせないのだ。私は、瞑想のトレーニングを受けたわけではないが、なんとなく目を瞑る癖をつけていたから、自然とそれが瞑想になっていた。
次に、④に関しては、やはりそのような世界を引き寄せるには、普段から感謝をしている必要があるのだ。そうすると、自然と味方をしてくれるのだ。
次に、⑤に関しては、自分勝手な思いこみにより、イメージが固定されてしまうのだ。だから、すべての思いこみを解除する必要があるのだ。このすべてというのは、その人自身にとって、すべてという意味である。時間があるという思いこみも外す必要がある。
次に、⑥に関しては、やはり長らくやっていく必要があるからだ。時間を投資しなければ、見ることはできないのだ。脇目もふらずにすると、目処が自然と立つのだ。
次に、⑦に関しては、やはり自分のカルマが邪魔をして、最深まで、たどり着けないからだ。だから、刈り取りをする必要がある。
以上の事をすれば、自然と見えるようにしていただけるのだ。神とは、意識体や情報体のようなものなのだ。あるものを認識した瞬間に、何かが変わるのだ。魂次元のやりとりが関知できると、今何かが動いているのをキャッチできるのだ。また、ピカソの絵のようなものを、どの意識層から取り出すと、このようなインスピレーションになるというのもあるのだ。同じインスピレーションは、同じところからひっぱているのだ。このようなものを意図的に作り出すのを、イメージ言語と呼ぶのだろう。このイメージとこのイメージとこのイメージが合わさると、こんなイメージを呼び起こせるというものだ。絵画というのは、多量のイメージの結集体なのだ。必ず、その書いている人は、あるイメージとあるイメージを結集しているのだ。それで、作品が出来上がる。出来上がったものを見ると、イメージの結集の構造がわからないから、「なんか、すごい。こんなの描けない」となるのだ。無意識マップというのは、ある意味イメージの結集体なのだ。

□追記
究極の実在に関して、あまりにも重要な事なので、封印されてしまった。これをどうしたらいいか?追っていきたい。