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目に見えないものの呼称について

日常生活 純粋フラット

人によって、団体によって、目に見えないものの呼称が違うのが気になったことはないだろうか。私は、結構あるのだ。

結論として、目に見えないものに対して、何と呼ぶかは、どちらでも構わないのだ。様々な呼び名をする人がいる「グレーとサムシング」「神」「神様」「究極の実在」「仏」「主」などである。
が、そこが問題ではないのだ。

どういう気持ちでいるかなのだ。尊重し合う気持ちかどうかなのだ。
だから、呼び名はどれでも構わないのだ。気持ちというのは、波長が違うのだ。
例えば、同じ「ごめんなさい」でもしっかり謝っている場合と、適当にごめんなさいと言っている場合がある。それは、波長が違うのだ。
波長の法則だ。
魂は、愛を求めているのだ。
だから、掃除をする時は、ごめんなさいと思いながら、言える場面では言って、掃除をするのだ。そうすると、良いことが続くのだ。これは、小学校では教えてくれない次元の話だ。小学校で、しっかり掃除をするということは教えてくれる。が、どういう気持ちでやるのがいいかまでは、わからないだろう。ごめんなさいを思うのだ。そうすると、波長が高くなり、気分も良くなるのだ。じゃあ「ありがとう」の方がいいんじゃないかというのは、あると想うが、ありがとうより、ごめんなさいの方が、良いことが続くようになっているのだ。だから、ごめんなさい。なのだ。自然と、神の気持ちがわかるようになるのだ。「いつも、適当にやってごめんなさい」という風に。とにかく謝るのだ。人に対してだと、謝ってばかりだと、変な人と思われて、嫌な気持ちになるが、独りでにする行動に対しては、ごめんなさい。なのだ。それが、結局は、自分を助ける行為に繋がるのだ。私は、母にその事を伝えたが、わからないだろう。だが、諦めたわけではない。
団体によって、呼称が違うのは、どちらでも構わないのだ。郷に入れば郷に従えでもいい。そこが大切ではないのだ。
「主」という単語を使うのは短いのと、キリスト系の人のためだ。
「仏」という単語を使うのは、短いのと、仏教系の人のためだ。
「神」という単語を使うのは、短いのと、神道系の人のためだ。
「究極の実在」という単語を使うのは、長いのだが、無宗教の人のためだ。
「オリジナルスピリッツ」という単語を使うのは、その他の人のためだ。

呼称に関して、統合が進めば良いだろう。脳内イメージの共有だ。

目に見えないもの | 臥竜
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