verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

宗教家 オチ 何かの拍子

私は、宗教家というのは、調べきっているわけではないと思うのだ。
確かに、あらゆる視点を調べている。
が、あと一歩違う気がするのだ。
ここは、まだまだ解けないのだ。
何かわからないが、何でもそうなのだが、何か一つの拍子で、一気にオチがある気がしてならないのだ。
見えない世界というのは、調べれば、調べるほど、ほぼ全てが、そういう解釈ね。確かにね。というのがあるのだ。
が、何か最後の一歩が、どうも怪しいのだ。ここが、甘えなのかもしれない。やはり、かなり甘えているのだ。ごめんなさい。ありがとう。それは、自分で決めることなのかもしれない。そうすると、私はなぜ、こんな頭でばかり考えていたのだろうかと、頭が痛くなるのだ。甘えてしまっている。明日は、5時30分に起きよう。
この妙な最後の怪しさが、情報化社会の現代人には怖いのだろう。私も、そうだからだ。
最後の一歩を自分で決断しきらない魔だろう。私もおおいに悩むのだった。
ああ、あまり調べなければ良かった。いや、調べたお陰で、助かることが多くなった。そうこうやって、すぐにプラスに持ってけるようになったのだった。これが、波長が上がった状態なのだ。魂は、わかっているのだ。私は、自分の中心の中心を信じたいのだ。ただ、まだ確証がないのだ。それが、怖いのだ。
選択肢が増えると、どうしたものかと甘える魔にやられるのだった。決断したものしか、覚悟ではないのだ。私は、一生感謝し続けようと決めた。そう、こういうのも決断なのだ。ただ、やはり思いきった分だけ、花が開くという法則があるのだ。私は、思いきりたいのだ。が、ここに来て、また長考するのだった。結婚相手も、思いきりたいのだった。今まで検証した視点か、はたまた逆なのか、最後のオチは、どちらか。ただ、考えても、やはりわからないのだ。いや、まだ検証が甘いのかもしれない。メキメキ近づいているのだ。どちらなのか。だ。私自身でわかるのか、死相家としての限界なのか。まだまだ、もっと甘えをとりきれば、わかるかもしれない。どちらでもいいのか。
罰は、必ず下る
ただ、それも慈愛なのだ。 結婚したいなと思うのであった。