verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

頭でっかち 甘えの魔

私は、「どうでもいいや」という魔にやられていた。自暴自棄だった。自分の頭で、自分を苦しめていた。
スマホで、どでもいい甘えをしていた。甘えた甘えた。甘えて頭がおかしくなった。やらなくていいことをやり、やったほうがいいことをしなかった。おかけで、頭がおかしくなった。全て、自業自得なのだ。
スピリチュアルを学んだが、真理まで到達すると、甘えの愛が頭だけで赤子のように頭が逆さまの頭だ。よくわからないと思う。ごめんなさい。いずれわかる日が来るだろう。これは、比喩であるからだ。
私は、いつから、ここまで魔に負けるようになったのだろうか。
いや、元々負けていた事に気が付いた。甘えていたのだ。家族の忠告を無視していた。だから、罰が降ったのだ。いずれ、また罰が降る。私は、正常な頭になれていない。感覚でわかる。ただ、ひたすら、神に謝るだけなのだ。
私は、どうでもいい情報収集に時間を取られて、大事な人間関係を築くことを怠ったのだ。間違えていたのだった。そして、怖くなったのだ。甘えていた。甘えていた。甘えていた。ごめんなさい。甘えがひどくて、甘えがひどくて、ごめんなさい。頭で考えてばかりで、ちゃんとした愛を持っていなかった。気づかせてくれてありがとうございます。
まずは、日常生活をきっちり甘えずにやることなのだ。常に一歩一歩なのだ。甘えだけで生きてきた。愛されている事に気付くのだった。目を疎かにした。だから、視力が落ちた。大事なことだった。忠告というのは、どこかしらに降ってくるのだ。それを、キャッチできるかどうかだ。私は、キャッチができなかった。
ああ、頭が悪かったのだ。常識というのは、頭がいい人が作ったのだ。大切にするものだ。たまげたものだ。私は、今スマホを真っ暗闇で打っている。頭がおかしいのだ。ああ、なぜ人は気付かないのだろうか。哀れな人よ。
ごめんなさい。また魔に負けてしまいました。いつになったら、勝てるのだろうか。人間関係の魔には、なかなか勝てない自分を認めたいのだった。どうも、苦手だ。甘えてしまう。甘えてしまう。甘えてしまう。