verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

そうは言ってもねという魔

そうは言ってもねという魔があります。私もよく引っ掛かります。相手の言っていることに対して、「そうは言っても、こうでしょ」というのは、誰でもあります。が、それも魔なのです。魔に勝った人は、愛を持って、それに対応します。それが、できるのです。

どうせ届かないだろうという魔もある。携帯で、連絡を取れないからといって、諦めてはいけない。全ては、繋がっているからだ。私は、連絡しなくて、ごめんなさい。
私は、教育の本質とは、何かずっと探究していた。手段は変わる。が、本質は変わらない。
例えば、ガンダムモビルスーツのような時代が来れば、服の着用方法は、変わるし、教育内容は、変わる。
が、人間が何をしていけばいいかという根本は変わらない。
教育の本質は、「良い行いを良心に従い続けましょうという事」
なのだ。
色々と小難しく言うこともできるが、単純に表現すれば、そうなのだ。
が、それでは、なかなか人は、納得しない。腑に落とせるまで、探求したかどうかだ。
だから、あの手この手の表現で、教育の本質を伝えている。また、手段というのは、膨大にあるからだ。だから、色々な情報に溢れている。人間は、色々な考え方があるから、頭に納得させやすい方法も変わるのだ。何かを定められるというのは、それだけ探究したからなのだ。私は、人に依存しなかった。周りからは、依存していると見える人もいるだろう。どれだけ人に依存しないで、考え抜くというのが、難しい事かわかった。たいていの人は、誰かの受け売りを話しているのだ。
だから、色々な指摘をされると、ショゲるのだ。また、ごめんなさいを毎秒言えるかどうかぐらい誤っているというイメージを一度でもした事があるかどうかなのだ。
それぐらい人間は、誤っている行動をしている。が、神は、同時に、慈愛に溢れている。スピリチュアルを探究すると、よくわかる。が、その分の代償もある。神は、どの人も大切に見続けているという事だ。
また、ここは、21世紀の2017年の2月2日の日本なのだ。朝には、布団を出すのが、魔。昼には、布団を入れるのが魔。だからこそ、同じ布団の出し入れでも、魔が違う。私は、体を使う魔に負けることが多かった。が、これからは、しっかり体を使っていく。明日は、朝6時15分に起きるのだ。そのために、早く寝るように努めるのだった。未来にも、少しイメージを向けることだ。私は、6月までに本を書く。今は、2月だ。3月、4月、5月、とあと4ヶ月しかない。急いでやる事だ。私はやっと、時を取り戻したようだ。ごめんなさい。迷宮からまた、一歩抜け出せたようだ。思い上がっていた自分がいただけだ。また、多くの支援をしてくれた家族にごめんなさい。ありがとう。やはり、いつまで経っても、感謝というのは、大切だと気付かせてくれた。忠告はしなければならない。また、発覚させなければならない。が、それは、自業自得なのだ。ただ、私が悪かった。甘えていただけだったのだ。やはり、慈悲の心が大切だ。その時、その時にしているかどうかだ。必ず、警告というのは、一度ならず沢山来ているのだ。私達は、その事に気付かなかっただけなのだ。不動産の自転車操業ほど、怖いものはない。不労所得と思い上がっているほど、経営は甘くない。今に寝首をかかれるのだ。だから、寝るというのは、恐ろしい事なのだ。短い時間にするに限る。10代や20代の人に対しては、全部自分の責任だ。という事を伝えたい。また、謝り続けた方が、身のためだとも伝えたい。
謝っている時間を省くほど、人生は短くないのだ。
周囲の人の支えがなければ、もっと辛い思いをしていたのだ。「有名だから」という事で、乗り切れる程、人生は甘くない。有名の魔に負けたのだ。
という事を、私は、30年も診察していた父の主治医に関して、思ったものだ。私が、悪かった。もっと相手の気持ちに寄り添えれば良かった。お見舞いにも、もっと行ければ良かった。ごめんなさい。
私は、DNAだからと、鬱病になったのを、人のせいにする魔に負けていた。
DNAのおかげで、今生きているという事を忘れていた。知ったかの魔に負けていたのだ。どれだけのDNAが、自分のために働いているか、私には皆目見当がつかない。という少しだけ謙虚になれた気がした。家族の不和というのは、必ず自業自得なのだ。痛みを知ることは、とても良いものだ。