マンネリ 内外反転の一例

継続は力なりと、マンネリ惰性の魔
「継続は力なり」ということわざがある。が、継続していも、マンネリや惰性というものがある。これは、見極めが、とても難しい。何かをし続けている自分というのは、アイデンティティを蓄積している。が、そのアイデンティティによって、人を苦しめているのだ。私の母は、英語をずっと勉強している。が、それは、惰性になっている。が、それに本人は気付いていない。例えば、私は、少年ジャンプを読み続けていたが、途中で、惰性を感じて、続けるか迷ったのだ。が思い切って止めた。これは、英断だった。やはり、後々考えて見ると、いらなかった。誤解しないで頂きたいのは、少年ジャンプを読む人が、ダメだというわけではない。読んだ方がいいステージもあるからだ。特に、少年時代には、マンガというものは、とても無意識世界を、うまくカモフラージュして、伝えているのだ。この事に、気付くのも、一つの悟りの境地だ。逆の例としては、私は、彼女と同じことばかりしてマンネリに陥った。これも、スパッとケジメをつけられなかった。が、有り難いことに振ってくれた。あまりに一緒にいたからだ。一緒にいるのは、甘えが強くなる。だから、私は、とてもきつかったが、有り難いとごめんなさいと思えた。
この世界は、無意識マップを完成させることだという事に、痛みを持って教えてくれたことに多いに感謝している。ただ、なかなか人情という記憶層があるが、正しかったのだ。ただ、切り替えるには、その分時間がかかるのだ。これも内外反転なのだ。ということは、魂だけはわかっているのだ。有り難かった。自分の魂にも、ごめんなさいとつくづく思うと、少し身震いがした。私は、大好きであることには変わりはないが、魂に忠実になっていこうと決めた。そうすると、気持ちが楽になるのだ。魂が、ここまで愛だ愛だと教えてくれたものだ。薄情者でいい自分を認めることだった。よって、愛というのは、様々な形がある。一緒にいるだけが愛ではないのだ。私は、遠く離れた親友のために、愛を送っている。魂は、それを気づいているのだ。が、自分の修行が足りないと、見抜けないだけなのだ。私は、これからも、色々と修行をしていきたい。とっても楽しい出来事満載なのだ。
目に見えるものと、目に見えないもの、双方を追究すると、ある時、ふと気付く。そして、19歳の時に、エヴァンゲリヲンの世界に、猛烈に惹かれていた。当時は、謎過ぎて、わけがわからなかった。色々な説を見ていた。が、今ではほとんど、どういう無意識世界の真意かわかるようになった。「このシーンは、無意識世界のこれを表しているのだな」と。全然気が付かなくて、ごめんなさい。と伝えたい。やはり、とても表現者というのは、精密に考えて作成しているのだなと思ったものだ。全てが繋がってくるのだ。ごめんなさい、傲慢で。一瞬の傲慢が、違うところに来るのだ。
特に、自分達が作成したという傲慢が、一番の命取りだ。神と共に作成したのに、自分がさも作成したような顔をしていないだろうか。少しは、楽しむのは、必要なことだ。それと同時に私は、恐ろしい。
なぜならば、魂と神は、いつでも内外反転を起こせると思って生きた方が謙虚で居続けられるからだ。勉強だから、ずっと続ければいいかというと、そういうわけではないのだ。私の母は、利口でお金に執着するのをだいぶ止めてくれた。魂と今の意識が同調する事を祈っている。
魂に忠実になれば、きっと気付くだろう。ちょっと神ごめんなさいと思えるかどうかだ。



同じ勉強法を続けると合格できない?! |

同じ勉強法を続けると合格できない?! |