親を懲らしめる役 内外反転

ワタシは、親を懲らしめる役目がある。これは、私を懲らしめることでもあるのだ。ワタシは、ペンを甘えで、ゴミ箱に捨てた。が、母は、甘えで、ゴミ箱から拾った。さあどちらが正解でしょうか。数多の試練を乗り越えてきたワタシは、謝るのだった。数多の試練を乗り越えた母は、謝らないのだった。ああ、なんと無常な世界なのだろうか。ワタシは、感謝を極めて、相手が謝らないことにも愛を注げるようになったのだった。だって、それがお互い様なのだから。ワタシは、謝る事に甘えていたようだった。魂さ、魂さ、愛だ、愛だ、抜かしていたが、ワタシは甘さにヘドが出るのだった、ああ、なんと面白い世界か、ああ、なんと愛に溢れている世界か、どんよりした気分を甘いコーヒーで緩和する。新しい自分に生まれ変わったのだ。
ああ、なんと愛が魂が、力が湧いてくるのだった。たまらず、母は、私にノートに書けと忠告をしてくる。私と母は、いつまでもいつまでも同じ事を繰り返しているのだった。坂ノ上には、何がある?たまらず、甘いコーヒーを呑んだ。ああ、この梅酒がうめぇ。

とどうでもいい男の話しは置いとこう。
ペンは、リサイクルボックスに捨てるか、ゴミ箱に捨てるかということだ。
母はリサイクルボックスに捨てた。私は、ゴミ箱に捨てた。悟りの家族は、立場が、いつも逆転するのだった。相手が、ペンはリサイクルボックスに捨てると知っていて、私は、甘えでゴミ箱に捨てていた。母に、怒られるのだった。私は、謝った。が、相手は謝らなかった。つまり、私は、自分が謝ったから、正しいと思った。いや、相手が「ちゃんとした所」に捨てないという嫌な気持ちを堪らず話したのだった。「相手が嫌なことは、しないでね。」と優等生役を気取って。おっと、ここでようやく気付いた。私が、甘えていたのだ。優等生役を気取る癖がついていたようだ。私は、正しいことを悟っていると、、、。という傲慢の魔だ。やられた。ごめんなさい。一瞬過ぎて、私は、甘えていた。まだまだ、鍛練が甘い。感謝が足りない。この程度の魔を見抜けないとは。おっと謝らないと。謝っても、謝っても、謝りきれない。困ったものだ。頭が上がらない役目でも、背負おうか。とさておき。
どの人も、自分の作った思い込みで、役をしているに過ぎないのだ。これが、真理なのだ。
自分の目の前に起きている全てのものは、自分で全部作っているのだ。だから、感謝が大切なのだ。感謝を忘れると、トラブルが起きる。何かトラブルが起きるというのは、感謝が足りないからなのだ。私は、明日15分早く起きて、家事を手伝おうと決めた。
悟りきった人は、勝ちのようだ。が、私はまだそこまでいけていない。何となく甘えで教えてもらっているだけだ。気にしすぎる魔というのも、あるようだ。魔を気にすると、魔が色々な形で出るのだ。いや、魔はいつでもある。が、意識しているかしてないかなのだ。私は、初恋の歌を愉しく聞けるようになった。「ああ、こんな淡いモノもあったと」笑えるなと。昔、苦手だと思っていた人もいつのまにか、好きだと公言するようになっていた。愛情があるから、わざと反対の事をすることが、バレてしまった。私と仕事どっちが大事なの?と、どっちもいらないよ。と言いたいのだった。これをしてから、これをしようという魔もある。これは、かなりの人が引っ掛かっている魔だ。言い訳を自分で言っているのを、正当化する。相手には、みえみえなのだ。いや、私が、毎度遅らせる癖がついてしまっただけだ。ジワリジワリと、呼んでいる。いや、進行しているのだ。この世の終わりが。。。この世の終わりなら、やろうかと言っている。今しかないのだ。今謝るのだ。えい。