verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

親を懲らしめる役 内外反転

ワタシは、親を懲らしめる役目がある。これは、私を懲らしめることでもあるのだ。ワタシは、ペンを甘えで、ゴミ箱に捨てた。が、母は、甘えで、ゴミ箱から拾った。さあどちらが正解でしょうか。数多の試練を乗り越えてきたワタシは、謝るのだった。数多の試練を乗り越えた母は、謝らないのだった。ああ、なんと無常な世界なのだろうか。ワタシは、感謝を極めて、相手が謝らないことにも愛を注げるようになったのだった。だって、それがお互い様なのだから。ワタシは、謝る事に甘えていたようだった。魂さ、魂さ、愛だ、愛だ、抜かしていたが、ワタシは甘さにヘドが出るのだった、ああ、なんと面白い世界か、ああ、なんと愛に溢れている世界か、どんよりした気分を甘いコーヒーで緩和する。新しい自分に生まれ変わったのだ。
ああ、なんと愛が魂が、力が湧いてくるのだった。たまらず、母は、私にノートに書けと忠告をしてくる。私と母は、いつまでもいつまでも同じ事を繰り返しているのだった。坂ノ上には、何がある?たまらず、甘いコーヒーを呑んだ。ああ、この梅酒がうめぇ。

とどうでもいい男の話しは置いとこう。
ペンは、リサイクルボックスに捨てるか、ゴミ箱に捨てるかということだ。
母はリサイクルボックスに捨てた。私は、ゴミ箱に捨てた。悟りの家族は、立場が、いつも逆転するのだった。相手が、ペンはリサイクルボックスに捨てると知っていて、私は、甘えでゴミ箱に捨てていた。母に、怒られるのだった。私は、謝った。が、相手は謝らなかった。つまり、私は、自分が謝ったから、正しいと思った。いや、相手が「ちゃんとした所」に捨てないという嫌な気持ちを堪らず話したのだった。「相手が嫌なことは、しないでね。」と優等生役を気取って。おっと、ここでようやく気付いた。私が、甘えていたのだ。優等生役を気取る癖がついていたようだ。私は、正しいことを悟っていると、、、。という傲慢の魔だ。やられた。ごめんなさい。一瞬過ぎて、私は、甘えていた。まだまだ、鍛練が甘い。感謝が足りない。この程度の魔を見抜けないとは。おっと謝らないと。謝っても、謝っても、謝りきれない。困ったものだ。頭が上がらない役目でも、背負おうか。とさておき。
どの人も、自分の作った思い込みで、役をしているに過ぎないのだ。これが、真理なのだ。
自分の目の前に起きている全てのものは、自分で全部作っているのだ。だから、感謝が大切なのだ。感謝を忘れると、トラブルが起きる。何かトラブルが起きるというのは、感謝が足りないからなのだ。私は、明日15分早く起きて、家事を手伝おうと決めた。
悟りきった人は、勝ちのようだ。が、私はまだそこまでいけていない。何となく甘えで教えてもらっているだけだ。気にしすぎる魔というのも、あるようだ。魔を気にすると、魔が色々な形で出るのだ。いや、魔はいつでもある。が、意識しているかしてないかなのだ。私は、初恋の歌を愉しく聞けるようになった。「ああ、こんな淡いモノもあったと」笑えるなと。昔、苦手だと思っていた人もいつのまにか、好きだと公言するようになっていた。愛情があるから、わざと反対の事をすることが、バレてしまった。私と仕事どっちが大事なの?と、どっちもいらないよ。と言いたいのだった。これをしてから、これをしようという魔もある。これは、かなりの人が引っ掛かっている魔だ。言い訳を自分で言っているのを、正当化する。相手には、みえみえなのだ。いや、私が、毎度遅らせる癖がついてしまっただけだ。ジワリジワリと、呼んでいる。いや、進行しているのだ。この世の終わりが。。。この世の終わりなら、やろうかと言っている。今しかないのだ。今謝るのだ。えい。