verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

復讐 愛する視点 怒りを認めない魔

復讐というのを愛する視点とは、どういうものだろうか。
私は、ずっと怒りを抑えてきた。恐らくかなり溜まっていた。誰でもそうだと思う。が、愛を考えると、復讐はできないと思い込んでいる。私は、嫌いなひとがなくなればいいと思っている。怒っている自分も認めてあげることだ。愛したあげることだ。「私は、今怒っている」とその気持ちを認めてあげることだ。私は、反射的に怒らないように努めていた。が、それも愛だ。が、怒っている自分を認めることも愛だ。「殴りに行きたい」と思う自分を認めてあげるのも愛だ。私は、ずっと嫌なイメージを愛する事ができない自分であった。例えば、私は、何度も昔の友達の嫌なイメージが、フラッシュバックする時があった。が、今さら、思っても仕方ない」と思っていた。が、あまりにもフラッシュバックするのだ。他愛ない事ではあるが、あまりに多くあるので、気になっていた。が、自分が、「あの人に怒っている」自分を認めることなのだ。そういう自分があって良いのだ。誰しも、怒りづらい人というのはいるだろう。が、怒っていけない自分も認めることだし、怒って良い自分も認めることなのだ。「これは、ちょっとな」という思い込みが、何かのヒントなのだ。そうすると、自然と怒りが収まるのだ。現実に、怒るか怒らないかは別問題で、怒っている自分と怒っていない自分両方を愛するのだ。魂は、その事を伝えている。誰しも怒り合うのは、嫌な感情がある。が、愛を持って対応してほしい。気付かなくてごめん。気付かせてくれて有り難う。私は、内面の声を愛したい。ごめんね、壁を作って、ありがとう、いつもそばにいてくれて。どの人も溜め込んでいると、ふと感謝している自分になっていた。どんな自分も愛したあげることだ。紙もそれを望んでいる。ふと、怒りがなくなった事に気付く。怒っている自分というのを、認めてあげることだ。ただ、愛を与えたい。