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復讐 愛する視点 怒りを認めない魔

魔の詳細 純粋な人がまたまた諦めやすい魔

復讐というのを愛する視点とは、どういうものだろうか。
私は、ずっと怒りを抑えてきた。恐らくかなり溜まっていた。誰でもそうだと思う。が、愛を考えると、復讐はできないと思い込んでいる。私は、嫌いなひとがなくなればいいと思っている。怒っている自分も認めてあげることだ。愛したあげることだ。「私は、今怒っている」とその気持ちを認めてあげることだ。私は、反射的に怒らないように努めていた。が、それも愛だ。が、怒っている自分を認めることも愛だ。「殴りに行きたい」と思う自分を認めてあげるのも愛だ。私は、ずっと嫌なイメージを愛する事ができない自分であった。例えば、私は、何度も昔の友達の嫌なイメージが、フラッシュバックする時があった。が、今さら、思っても仕方ない」と思っていた。が、あまりにもフラッシュバックするのだ。他愛ない事ではあるが、あまりに多くあるので、気になっていた。が、自分が、「あの人に怒っている」自分を認めることなのだ。そういう自分があって良いのだ。誰しも、怒りづらい人というのはいるだろう。が、怒っていけない自分も認めることだし、怒って良い自分も認めることなのだ。「これは、ちょっとな」という思い込みが、何かのヒントなのだ。そうすると、自然と怒りが収まるのだ。現実に、怒るか怒らないかは別問題で、怒っている自分と怒っていない自分両方を愛するのだ。魂は、その事を伝えている。誰しも怒り合うのは、嫌な感情がある。が、愛を持って対応してほしい。気付かなくてごめん。気付かせてくれて有り難う。私は、内面の声を愛したい。ごめんね、壁を作って、ありがとう、いつもそばにいてくれて。どの人も溜め込んでいると、ふと感謝している自分になっていた。どんな自分も愛したあげることだ。紙もそれを望んでいる。ふと、怒りがなくなった事に気付く。怒っている自分というのを、認めてあげることだ。ただ、愛を与えたい。