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先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

親の因果は、子に報う&子に報い 嘘と本当 スピリチュアル

親の因果は、子に祟る。

竜頭蛇尾を繰り返す悪癖を治すには 親を変えるには20年かかるという真相 「家宝は親」親はラスボス - verymuch8’s blog


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親の因果が子に報い | 法瀧庵-祟りはないと知ってほしい霊能者のブログ-

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この世界の根本にあたるものは何なのか知りたい方へ、
最も重要なリンクである。

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勿論、視点に依るという譲歩はある。が、私の自業自得なのだ。が、どういう事か、考えてみよう。
例えば、私は、東北のスーパーで、やけに、ボランティア活動をしていた。
少しだけ何をしていたか言うと、万引き犯を探したりしていた。
が、それは、私の母が、スーパーで悪事をしていたのも一因だったようだ。
それは、にんにくの小パックを沢山タダだからといって、貰っていたからだ。
このような甘えの魔に対して、家族というのは、甘えを質す必要があるのだ。
私は、そうとは知らず、食べていた間抜けだった。
昔から言われているように、
タダより怖いものはないのだ
私は、怒ったのだ。謝ったのだ。甘えていたのだ。母は、少し謝った。
モノのエネルギーを、甘く見ていると、ツケが回る。これは、感覚で何となくわかるのではないだろうか?
ものを大切にしないと、嫌な事が起きたりする。十年に一度ぐらいの頻度だが、ガムが服にこびりついてしまった事がある。ガムに対する感謝が足りなったのだろうか?よくわからない。磯丸水産で、海鮮丼を食べたが、なんだか感謝が足りない感がある。その場合、誰かに話したり、SNSに投稿するといいだろう。
お金を払っているものと、お金を払っていないものと、感謝量の関係で、カルマができるのだ。
当たり前だが、お金を支払っているものは、感謝量は、多くなくても、カルマにならないのだ。
が、お金を支払っていないものは、感謝量が、多くないと、カルマになる
のだ。
塵も積もれば、山となる。

値段-払う金額±感謝量=カルマ
というようなイメージだろう。時と場合に因るのだ。「良心に従え」というのが、一番なのだ。
ちなみに、因るという字は、因果の因という字である。

近似値の数学的な算出方法が、いつかできると思うが、その推定公式は、またどこかで発表できるといいかもしれない。うーん、なかなか難航してる。
私は、甘えてごめんなさい。気付かせてくれて、ありがとう。と伝えたい。
家族は、同じ想念体を共有しているというのは、以前に書いた。カルマは、共有している。
ごめんなさい。
日常生活を見直し続けないといけないと思ったものだ。 気付かない私が悪いのだった。ごめんなさい
私は、甘えるよりは、ボランティアをした方がいい。ボランティアは好きなのだ。ごみを拾うのとblogを書くのは、ボランティア精神なのだ。これは、親に勉強させていただいたお陰なのだ。つまり、私が、改めれば良いことなのだ。やはり、どうしても誰でも、怒りの魔に取りつかれて、被害妄想的に表現してしまう。が、全て自業自得なのだ。全て私が悪いのだ。私は夜中にニンニクを食べた。意地っ張りという魔もあるからだ。これで、明日から、6時半に起きるのだ。割のいいまたは割の合わないボランティアはあるだろうか?
私は、短期で政治家のボランティアをしたことがあるが、その人は、国民の見え方をとても気にしていた。政治家の生の姿を垣間見れて、非常に参考になった。他のポランティア活動の事は、今は割愛する。

親の因果が子に報い、因果は巡る! 女性の生き方に関するコラム

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□追記
自分に非がないという因果になってくる。
親が死ねば、カルマの清算になるかもしれない。死後、親のカルマを引き継ぐか、見ものである。私が二十歳の時に、父親が亡くなったが、父親の存在感がなくなったので、好きに生きることをした。父親が亡くなって、カルマ的に厳しくなったかと言われれば、厳しくなってなかった。カルマが多い人生は正直疲れる。私の憶測では、母親はカルマを溜めているかもしれない。あと何年か何十年したら、このblogでも再度取り上げられるかもしれない。親の死期が近づいている。両親がいなくなると、困る部分がある。今まで通りの生活が、少しできなくなるだろう。ただ、遺産もあるだろうから、経済的に苦しくなるわけではなさそうだ。事務的なものが増えるかもしれない。母親には、良い老人ホームに行って、いわゆる成仏してほしいものだ。

□追記
母親がついに病気になった。つまり、カルマの精算を息子にさせず、自分でする領域までいったのかもしれない。ここで、私の病気の一説が消えるかもしれない。

□追記
両親を乗り越えるのが子供の役目だ。誰しも両親から生まれたが、両親の価値観を乗り越える必要がある。両親の言いなりにならないということだ。両親を尊敬してると言うと、周囲の評価が上がる。あなたは、尊敬できているだろうか?悪いところは、反面教師にして、良いところは、どんどん学ぼう。そろそろ違う視点も書けるだろう。親が長年やっていた資格勉強を止めるらしい。私は、資格勉強を取得までしたことが、少しだけある。どういう報いがあるだろうか?親の意志を継ぎ、資格勉強をやるはめになるのだろうか?親ができなかった事を子どもがするかどうかだ。子供を産んだら、子供を育てる養育の義務があるし、作業量が増える。

□追記
カルマを解消するために、父親(死人)の友人に電話をかけるということもある。こういうことも時として、必要である。私の父は、東北大学出身だが、父が亡くなって、6年後ぐらいに、東北大学に行くこともあった。実を言うと、家族の出身校に行くことも、大変重要なのだ。「どういう所で、学んでいたのか?」「ここで、やり残した事は、どんなことか?」等である。機械系の研究同窓会?から、便りがある。親父は、真面目で全然目立たない人だったが、すごく嬉しく思う。

□追記
伯母と母のカルマについて書こう。伯母は、お節介なタイプなので、何かと物を家族にプレゼントする。母に、折り畳み傘をプレゼントしたが、母は一度も使わなかった。
いらないものを、プレゼントされた時にどうするか?
私の母は、一応好意に応えて、プレゼントを貰うのだが、一度も使用せずに、しまいこんでいる。伯母から母に、「使った?」と聞かれ、母は伯母に「使った」と嘘をつく。伯母は、好意の嘘をつかれてる事に甘んじている。母は、最初から、「いらない。一度も使わない可能性があるから、それでも良い?」と伯母に言えば良い。
伯母は、プレゼントを貰わないと、嫌な態度をする。
読者の人も、これらの経験がある人も少なくないだろう。私は、プレゼントされた時に、「いらない」と言った。伯母に、ムッとされた。母の例を出しながら、説明をした。「必要性が高い」と伯母は言っていた。だが、果たして、一度も使わないものが必要性高いのだろうか?伯母の中では、必要性が高いものでも、他人(主に、家族)にとっては、違うのだ。
私は、「いらない。一度も使わない可能性がある。」と伯母に、母の代わりに言った。

母と伯母の関係性が、あまり良いものではないのである。もっと良い関係性であれば、このような事態にはならないし、分かり合えるはずだ。

親戚のカルマについての記事だ。
https://verymuch8.hatenablog.com/entry/2022/11/16/070630

もっと時間があれば、書ける日が来ると良い。

最後まで、お読みいただき有り難うございます。このご縁に感謝です。