verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

本の作り方 本の章分け

本を作るには、どうするのだろうか。
考えてみた。
■書籍名
■目次
■はじめに
■章立て
■あとがき
■プロフィール
■出版社


□書籍名 真の平和の作り方
目次

はじめに
真の平和というのは、どのような世界か、一緒に考えませんか。
この21世紀の時代には、様々な困難が待ち寄せているのは、どの人も感じているものでしょう。どのような状態になる事が、人間には求められているのでしょうか。これから起きる激動の時代に向けて、今から用意していきませんか。まず、争いというのは、どのようなものなのか、考える間が必要です。争いに関して言えば、「全ての執着がなくなれば、争いというものはなくなります」。
それは、「人間」が、全ていなくなれば、地球から争いがなくなるのです。
魂は、それを知っています。では、「人間」がなくなるというのは、どういう事でしょうか。「人間」というのは、醜い愛と美しい愛の双方を持っています。この醜い愛を美しい愛に変えていくのが、時の要請です。だから、それが今求められています。それには、どのような愛を神に与えればいいのでしょうか。

章立て
①視点転移
視点転移というのは、様々なシュチュエーションに合わせて、自分のために、自分の視点を変えるものです。
1-1視点転移
1-2

②感謝
感謝が大事というのは、どの人も見聞きしたものだと思います。貴方は、どこまで、日常生活に感謝していますか。なぜ、感謝が必要なのでしょうか。感謝し続けると、良いことだらけなのです。感謝していない人には、何かしらのメリットを伝えて導くのが正解なのであって、感謝している人は、全てに感謝しているのですから、伝えることもあまりありません。そして、人生どのように生きたらいいか、自分で考え続ける事です。
③魔(サタン)の研究
釈尊ことブッタの言うあらゆる魔というのは、どういう事なのか気になったことは、ございませんか。この解明を一緒に進めていきましょう。
長い思索の上の最終結論としては、「できる魔からやればいいのだ」です。また、「カルマは巡り巡るので、今から気づいてやればいいのだ」です。
結局長く追究しても、仏陀が表現したものと、同じ事なのでした笑。その時よりも、表現できる範囲が拡がっていることに感謝しています。
魔から逃れることは、魂のマラソンに差があると、わかりません。どのような魔があるのか、見てみましょう。魔というのは、思考に流れるインスピレーションの事です。
何か嫌なもので、膨大な量があります。これをどれだけ勝てるかという試練があります。例えば、分かりやすく言えば、「怠けたい」という魔です。「全部食べたい」という魔です。色々な魔に勝てば、その分、自由になれるのです。勝たない場合は、拘束されたままです。
1-1 魔という存在
魔というのは、魂が知っています。子供の頃は、どれが何の魔かあまり把握していません。本能的に、状況を対処しているのです。が、だんだんと理性を覚える事で、魔の正体に気付いていきます。魔は、誰にでも同じように襲います。例えば、「神なんていない、悪い人がいるのだから(怒)」というのは、被害妄想の魔なのです。これを、どうするか、考えてみましょう。
1-2 魔をどうするか
「神なんていない、悪い人がいるのだから(怒)」被害妄想の魔というのは、どうすれば勝てるのか。それは、悪い人は、どういう人なのでしょうか。魂に聞けばわかります。そう、自分なのです。これが、悟った人なのです。
1-3 魔に勝つと何が起きるか
悟ると、とてつもなく物事がスムーズにいきます。が、悟りというのは、いつまでも、続きます。悟るには、努力が必要です。努力なしには、悟ることができません。魂と甘えだけを、的確に分別できればいいのです。神も、全て楽しんでいます。たまたまということは、一切ありません。たまたまという愛があるだけです。たまたまにしといた方が、都合が良いからです。またまたこの辺りは、難しいでしょう。たゆまぬ探究が必要なのです。私は、よく魔に負けるので、もう嫌だと思っています。同時に、新しい魔が来ることを期待しています。

④日常生活
日常生活は、どの人にも与えられているものです。その日常生活を、今一度振り返ってみませんか。日常の些細な気付きが、自分を愛するということなのです。どの行為も、全てと繋がっていると、魂で感じられるようにしませんか。スプーンで、かき混ぜる行為も、繋がっているのです。これは、blogに沢山の例を出しています。
⑤純粋フラット
純粋フラットというのは、どういうことでしょうか。この説明は、またの機会にしましょう。新しい愛の形なのです。まだこれからです。まだ温まりきるには、時間が必要です。愛だけでもイカサマは、効かないだという事に気付くことです。
⑥教育
教育の本質というのは、どういうものでしょうか。私が発見したものなりに、書いてみたいと思います。まず、人間というものが、どういうものなのかを、知る必要があります。どのようなものになる必要があるのでしょうか。神と仏になることなのです。これは、どういう事か一緒に考えましょう。
教育の本質とは、「良い行いを良心に従い続けましょう」なのです。単純に表現すると、そうなのです。小難しく言うのもできますが、そうなのです。なかなか人は、納得しないので、あの手この手で、教育の本質を伝えているのです。手段というのは、膨大にあるからです。頭に納得させやすい方法も様々なのです。
例えば、こんな比喩表現で伝えます。「私は、愛が必要なのです。愛とは、ギャップなのです。魂は、隙間を埋め合いたいのです。また同時に、隙間を作りたいのです。まだ相合が足りません。これが、大切なのです。」というものです。意味がわかる人にはわかりますが、わからない人にはわかりません。わかる人には、少し笑いに繋がるのも入れています。が、わからない人のために、様々な情報で、一つ一つ伝えていっています。また、教育とは、全てのものに愛を降り注ぐ事なのです。これは、少し分かりやすいでしょう。実践し続けると、ある時、誰でもわかるようになっています。それは、人間の構造は、どの人も、ルートは違えど、同じだからです。早くたどり着くのが偉いというわけでもないのです。むしろ、私はごめんなさいと思っています。それは、日常の事を家族に任せっきりだったからです。その分の探究する時間を頂いたからです。
⑦内外反転、宇宙の原理
宇宙には、ある一つの宇宙原理が働いています。それは、あらゆる万物に作用しています。その事がわかると、どの場面でも、そのメッセージに気づけるはずです。
⑧真の平和
真の平和というのは、どのような状態でしょうか。どのものも、全て力を合わせている状態でしょう。では、それは、どのようなものでしょうか。観点の移動に即して、考えてみましょう。
⑨「ユニバーシティ」家族
「ユニバーシティ」家族を作っていくと、より良いでしょう。ユニバーシティ家族とは、お互い様という感謝が、いつまでも続く悟り家族の事です。どのような状態でも、自分自身の思い込みが100%であると、悟りながら、共同生活をする家族です。私は、三人の家族の例を出しましょう。どの人も、癖があるが、とても個性的な人達です。仮の名前として、世界史を例にして、マリアテレジア、ソクラテス、ルソーとでも名付けましょう。テレジアは、シンプルイズベスト、物を移動するのと、とても金銭の管理が上手です。ソクラテスは、とても理性的、物を探すのが苦手です。ルソーは、複雑怪奇で、自由気ままです。このドタバタ三人がどのようにして、ユニバーシティ家族を構成することができるのでしょうか。ある事件が起こります。ルソーとソクラテスは、いつも頭ばかり働かせていました。が、自分達が作ったモニュメントを置いておきました。そうすると、テレジアが、いつのまにやら、解体しているのです。普通であれば、自分達が必死に作ったモニュメントに対して、怒ります。が、ルソーとソクラテスは、無常という視点を転移したので、テレジアを誉めるのでした。誉められたテレジアは、嬉しそうです。そうこの様な事で、愛が満ちていくのが、ユニバーシティ家族です。総合大学として、家の場を活用しているユニバーシティ家族です。
⑩ユニバーシティ地域
このユニバーシティ家族が、連帯して、ユニバーシティ家族連合体を形成していく事です。やはり、ユニバーシティ個人、ユニバーシティ家族だけでは、循環できないものが、まだまだ沢山あるからです。そこで、ユニバーシティ家族連合体、ユニバーシティ地域、ユニバーシティ都市、ユニバーシティ国家と拡げていくことです。
あとがき
この書籍を出版させていただいた事に、感謝致します。書いてみて、自分なりにまだ埋めきれてない部分と、ページ数の関係で書けなかった事があります。blogや講演やイベントで、お会いできる日を楽しみにしています。私は、どの人も愛しています。貴方なりの魂の躍動を感じてみませんか。観念愛に過ぎないとも言えますが、愛には、様々な形があります。科学的な考察は、またの機会に致しましょう。

プロフィール
ヤテンヤマフク

出版社
平凡社

やはり、本というのは、blogで書いている内容を圧縮すればいいのだろう。また、拡張させたものが、blogになるのだろう。更に拡張させたものは、インターネット上に混在している。とある宗教家も、やはり膨大な量を教えるのに、苦労するのだ。ネタを皮切りに伝えていくしかないのだ。悟ると、全てのものがスムーズに行く。びっくりするぐらいだ。悟りの膨大なテーマは、インターネット上にあるのだ。が、やはり整理が難しいのだ。現在の教育内容は、とても愛すべきものなのだ。私は、教育体制を破壊したいと思ったが、日常生活が変わらなければ、教育体制自体は、そこまで変わる必要もない、自分が変われば良いのだと、思ったのだった。