自分がいる場 魔の反省会

場というものは、変わるのだ。
私は、母といると、物凄く圧力を感じるのだ。心が、より疲れるのだ
どの人も一緒だ。
が、これはお互い様なのだ。
嬉しい事に、今日は初めて、家族で、魔の反省会ができたのだ。
何の魔にお互い勝って、何の魔に負けたかというものだ。これをするまでに、ここまで時間を要したのかというと泣きたくなるというのは置いとこう(笑)
私は、職場で毎回振り返り会を開催していた。まだ職場ではやりやすかった。これをしないと、気が済まないが、手短にするように、気を付けていた。
が、家庭で毎日振り返り会をするのは、大変なのだ。
なんと、初めて振り返り会ができた。

①私を、友達に紹介した。したくないという思い込みを外した。
②折り鶴を折ってくれた。
③ゆっくり話を聞くように努めた

①相手の分まで、掃除をした
②手段に拘らないように努めた
③食べたいという魔に勝った

このように、負けないことなのだ。トレーニングというのは、たいてい好きなだけなのだ。私は、欲と純粋を見分けるために、甘えを抜いている。やはり、甘えがあると、抜けないのだ。家族という甘えそうになるところで、魔に負けないように、していきたい。
しかし、負けたことも、しっかり打ち明け合う事なのだ。
ムキになる魔というのもある。ムキと競争心は、紙一重だ。
たいてい遊びをしていて、喧嘩に発展するものだ。テレビゲームでも、そうなのだ。
ここで、一旦クールダウンできるかどうかがある。一旦言ったことも、状況が変わったら、面子という魔よりも、優先することだ。「え、それで自分が言ったこと、退けちゃうの?」という魔に勝つのだ。私は、甘えていた分、食べないだけなのだ。だが、状況は変わるのだ。少しずつなのだ。投げだしたくなる魔に勝つのだ。私は、天国に行けるので、あとは誰かのために生きるか死ぬかだけなのだ。この天国に行けるかどうかは、どれだけ心を砕いたかどうかなのだ。ため息を、吐いた分だけ徳を積んでいるのだ。
色々助けに気付かなくて、ごめんなさい。助けてくれて、ありがとう。と伝えたい。最近は、ほぼ自動なのだ。魔なのか、気遣いなのかは、とても重要だ。誰かに見られた時に、自分を引っ込めすぎないことだ。私は、止まった車の中で、携帯をしていると、周りが気になってしまう魔に負けることがあった。が、それは気にする魔ではないのだ。自分がするべき事をして行くことなのだ。