verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

目標設定の魔

何か一つの事を、できると、つい欲張ってしまう魔があるのだ。
私は、15分ずつ、早く起きるようにしている。
が、成功し続けると、つい、30分1時間早く起きようと、欲張った目標設定をしてしまう。
これは、欲張った目標設定の魔に、負けているのだ。人生は、その欲張った目標設定をしなきゃいけないほど、短くないのだ。
私は、ゴールを極大化する癖がある。が、ゴールにたどり着くには、目標を、クリアする必要があるのだ。
ゴールというのは、実は、意識しすぎることもないのだ。
仮にゴールを、5時起きを続けると、決めると、途端にやる気がなくなってしまうからだ。ゴールが設定されると、終わりなき戦いになるからだ。
どこまで行けるかわからない、良い塩梅はどれくらいかというのが、自分をやる気にさせてくれるのだ。成功体験というのは、何でもできるものなのだ。
周りの人が既知だったら、どうしようという不安があった。周りの人より劣っている事に取り組む恐怖があった。それが、自分を苦しめていた。これは、開き直ることだ。その話をすると、循環になるから、相手にとってもいいのだ。周りに現状を伝えないと、よくならないと、薄々思っている。
正直者は、トクをするのだ。私は、この取り組んでいる事のレベルに、左右され過ぎていたようだった。私は、人に問い詰める強さを知っている。人に問い詰めると、自分に対しても、圧力がかかるのだ。必ず、途中で「あ、これ俺できてないじゃん」というのが、頭に浮かぶ。そして、問い詰めた後に、ごめんなさい。「これやってみる。」となるのである。
ここで、反転して、素直になれるかどうかである。
世間では、怒った後に、ごめんなさい。という勇気を持てない人か多い。
貴方の思考の中では、これできてない、このことに気付けたというのが、あるからだ。
怒りすぎというのが、あるのだ。「貴方は、何様なのだ」となるのだ。この刹那のプロセスが必要なのだ。怒っていると
、自分の潜在意識の深い層に入る、そうすると、原因は、私にあるというのが、わかるのだ。私は、母を問い詰めると、途中から、自分が、悪いことに気が付き、謝るのだ。
ふと、自分がこれをしていないとなるのだ、自分を活かすチャンスなのだ。
怒られる人は、徳を積むのだ。謝る人は、徳を積むのだ。ついこういう風な大人でありたいというのが、邪魔をするのだ。子供の時に、「この大人の部分、嫌だなー」と思った事は、ないだろうか。