目標設定の魔

何か一つの事を、できると、つい欲張ってしまう魔があるのだ。
私は、15分ずつ、早く起きるようにしている。
が、成功し続けると、つい、30分1時間早く起きようと、欲張った目標設定をしてしまう。
これは、欲張った目標設定の魔に、負けているのだ。人生は、その欲張った目標設定をしなきゃいけないほど、短くないのだ。
私は、ゴールを極大化する癖がある。が、ゴールにたどり着くには、目標を、クリアする必要があるのだ。
ゴールというのは、実は、意識しすぎることもないのだ。
仮にゴールを、5時起きを続けると、決めると、途端にやる気がなくなってしまうからだ。ゴールが設定されると、終わりなき戦いになるからだ。
どこまで行けるかわからない、良い塩梅はどれくらいかというのが、自分をやる気にさせてくれるのだ。成功体験というのは、何でもできるものなのだ。
周りの人が既知だったら、どうしようという不安があった。周りの人より劣っている事に取り組む恐怖があった。それが、自分を苦しめていた。これは、開き直ることだ。その話をすると、循環になるから、相手にとってもいいのだ。周りに現状を伝えないと、よくならないと、薄々思っている。
正直者は、トクをするのだ。私は、この取り組んでいる事のレベルに、左右され過ぎていたようだった。私は、人に問い詰める強さを知っている。人に問い詰めると、自分に対しても、圧力がかかるのだ。必ず、途中で「あ、これ俺できてないじゃん」というのが、頭に浮かぶ。そして、問い詰めた後に、ごめんなさい。「これやってみる。」となるのである。
ここで、反転して、素直になれるかどうかである。
世間では、怒った後に、ごめんなさい。という勇気を持てない人か多い。
貴方の思考の中では、これできてない、このことに気付けたというのが、あるからだ。
怒りすぎというのが、あるのだ。「貴方は、何様なのだ」となるのだ。この刹那のプロセスが必要なのだ。怒っていると
、自分の潜在意識の深い層に入る、そうすると、原因は、私にあるというのが、わかるのだ。私は、母を問い詰めると、途中から、自分が、悪いことに気が付き、謝るのだ。
ふと、自分がこれをしていないとなるのだ、自分を活かすチャンスなのだ。
怒られる人は、徳を積むのだ。謝る人は、徳を積むのだ。ついこういう風な大人でありたいというのが、邪魔をするのだ。子供の時に、「この大人の部分、嫌だなー」と思った事は、ないだろうか。