verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

所有に対するイメージ 思い込み

所有するという事に対して、どれくらい責任があるだろうか。
私は、所有することが、怖いのだ。
何かを所有するということは、何かしらを提供しなければならない。
モノにも、エネルギーがあるから、その分を提供してないと、しっぺ返しが来るのだ。
何をすれば良いかと言うと、感謝することだ。
私は、たくさん感謝することを忘れていたようだ。
不動産所得で、人が苦労したお金に対する感謝が足りないと、家族を不幸にするのだ。
この事を、私は、つくづく感じる。
不動産所得といえ、管理会社が何でもやってくれるとはいえ、お金が入り続けているとはいえ、接点が皆無だといえ、巡り巡るカルマはあるのだ。
私は、全てのものに生かされている。
その事を、ありがとう。と思いたい。ごめんなさい。と伝えたい。
周囲の人の協力で生きていけているのだ。人に対する感謝。一つ一つ感謝することだ。
識字率というのも、学校のお陰なのだ。私は、学校がどれだけありがたいか、気付いたのだった。
学校を変えようと思っていたが、変えるのは、自分自身だった事に気が付いた。それは、いつまで経っても変わらない。自分の視野が狭い、甘えているのだ。変えるべきは、自分なのだ。技術革新は、大いにあるが、本質は、そこではないのだ。私は、成功話に、惹かれなくなった。ごめんなさい。些細なことに気をとられて、ごめんなさい。チャンスを頂いたことにありがとう。と伝えたい。
家があるというのは、とても雨風を凌げてありがたいのだ。これは、家にいても、感謝があれば、感じることができるのだ。勿論、過去の超不足の経験記憶や、甘えから、感じることは、できるのだ。
私が、のさばっていたと気が付くのだ。