所有に対するイメージ 思い込み

所有するという事に対して、どれくらい責任があるだろうか。
私は、所有することが、怖いのだ。
何かを所有するということは、何かしらを提供しなければならない。
モノにも、エネルギーがあるから、その分を提供してないと、しっぺ返しが来るのだ。
何をすれば良いかと言うと、感謝することだ。
私は、たくさん感謝することを忘れていたようだ。
不動産所得で、人が苦労したお金に対する感謝が足りないと、家族を不幸にするのだ。
この事を、私は、つくづく感じる。
不動産所得といえ、管理会社が何でもやってくれるとはいえ、お金が入り続けているとはいえ、接点が皆無だといえ、巡り巡るカルマはあるのだ。
私は、全てのものに生かされている。
その事を、ありがとう。と思いたい。ごめんなさい。と伝えたい。
周囲の人の協力で生きていけているのだ。人に対する感謝。一つ一つ感謝することだ。
識字率というのも、学校のお陰なのだ。私は、学校がどれだけありがたいか、気付いたのだった。
学校を変えようと思っていたが、変えるのは、自分自身だった事に気が付いた。それは、いつまで経っても変わらない。自分の視野が狭い、甘えているのだ。変えるべきは、自分なのだ。技術革新は、大いにあるが、本質は、そこではないのだ。私は、成功話に、惹かれなくなった。ごめんなさい。些細なことに気をとられて、ごめんなさい。チャンスを頂いたことにありがとう。と伝えたい。
家があるというのは、とても雨風を凌げてありがたいのだ。これは、家にいても、感謝があれば、感じることができるのだ。勿論、過去の超不足の経験記憶や、甘えから、感じることは、できるのだ。
私が、のさばっていたと気が付くのだ。