verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

時間を無駄にした という魔

時間を無駄にしたという魔がある。
この考えが不要なのだ。
時間を無駄にしたと思う貴方がいるだけなのだ。
人生に無駄はないのだ。究極的というか、超総合的に考えると、人生に無駄はないのだ。努力は、報われているのだ。努力してなくても、報われているのだ。意識と無意識を、全体で見れば、そうなのだ。
机に向かっていると、努力しているように見えて、ねっころがっていると努力してないように見える、だけなのだ。
努力の方向性の違いというものだ。社会的努力というのは、存在する。が、それは、社会が作ったものなのだ。乗るか乗らないかは、あなた次第なのだ。デメリットもメリットも受け入れるのだ。

ただ、勿論局所的に見たり、ある一つの物差しで見ると、無駄に見えるだけなのだ。局所的に見たいという脳の癖があるのだ。例えば、資格試験に失敗したというのも、無駄ではないのだ。糧なのだ。そして、どんなブラックでさえも、ホワイトにして、幸せを感じることはできるのだ。だから、自分の物差しで見て、ごめんなさい。ありがとうなのだ。私は、内心に従わなかったのかというと、内心に従っていたのだ。知識を詰め込んだというのも、内心なのだ。内申点を気にしないというのも、内心なのだ。普通の事をしていたのだ。普通に有り難く育っているのだ。