verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

洗濯物 経験 したくない 家事をしない人

洗濯物を、いつもやってくれる事に、感謝したい。
が、例えば、実は、自分がやってみたい事だったりする。そうすると、奪い合いになる。相手の行動習慣を奪うことになる。人間同じことをしていたいのだ。その場合には、①やってみたいと素直に言う②やらせてくれるように何かをする③自分に経験できなくても、感謝する
④諦める。違うことをする
等が考えられる。
この③が、重要なのだ。人間には、アイデンティティの拡張性がある。そうすると、対立する。やりたいこと同士で、対立する。そこに競争原理と選抜性を取り入れる。が、私は、したくないのだ。その場合、やはり、③が重要なのだ。洗濯物の場合、どちらかと言うと、やりたくない人が多いかもしれない。が、自分にできなくても、感謝することなのだ。 勿論、何度も記事に書いているように、自分が、大変だった記憶を呼び覚まして、感謝してもよい。が、仏教の、求めて得られない、「四諦の求不得苦」に対する攻略法だ。
私は、やりたいことがあっても、いつからか、やりたいことを素直に言えなくなった。譲る癖がついた。
が、反動でやりたいことばかりしたくなった。これは、会社では、タブーだった。やりたいことがやれない状況が続くと、人は反動が起こるのだろう。やりたいことをやらせたい。が、やりたいことをやらせたくもない。両方の気持ちがあるのだ。


仏教の教え-無常とは-四諦

仏教の教え-無常とは-四諦

追記
ある時から、洗濯を自分でするようになった。
業者に洗濯してもらってた。が、時期がきたら、認識を改めるのだ。するようになったら、自分でできるものだ。家事をしない人になるかは、生活環境に由来するだろう。誰かにやってもらってた人は、誰かにやってもらう習慣になってる事がある。