verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

良いこと 後悔する癖

*** 良いことをしてる自分、悪いことをしてる自分どちらも、存在する。
存在しないとも言える。
私は、良いことをしてる自分を懲らしめる魔に負けることが多い。折角、良いことをしているのに、それさえも、否定しようとする。そうすると、やる気がなくなる。より、嫌な気分になる。延々ループなのだ。仕事をしていると、嫌な気分になるだろう。そんな時は、ごめんなさい。と脳に謝るのだ。酷使してごめんなさいと。酷使されたら、自分だったら嫌だろう。 そうすると、元気を取り戻すのである。私は、脳をバカにしたが、脳は、自分なのだ。よく働いてくれているのだ。だから、ごめんなさいなのだ。脳は、怠け者でも、働き者でもない。どちらでもあるのだ。ただ、私は、自分の脳に謝りたい。折角色々思考力をつけてくれたのだから、感謝したい。「親父の脳があるのに」と母親に言われた。他の人にも、活かせばいいのにと言われた。
それは、私が、自分の脳に感謝していないから、言われるのだ。脳を味方に付けるか、敵に回すかは、自分次第なのだ。
私は、全てを愛したい。私の脳は、辛い時も、休みもせず、働いてくれている。ごめんなさい。10代までは、脳を肯定するパラダイムだった気がする。途中から、否定するパラダイムだった気がする。が、やはり感謝したいものだ。感謝するために、学問があるからだ。そのような学校が良いだろう。私は、学問に対する感謝が足りなかったのだ。総じて見ると、生きてる事の、感謝が足りなかったのだ。自分という存在をどうも認められない。いくら、探求しても、認められない。私は、いつになったら、自分を認められるのだろうか。私は、愛に飢えている。自分自身が、自分の事を一番愛したいのだ。そう簡単には、愛されないのだ。愛されるには、愛される魂にならなければ、愛されない。愛される魂というのは、純粋そのものだ。美しいものほど、私は、離れてみてみたいとも思う、天の邪鬼だ。どの人も、美しくそれでいて醜いのだ。ごめんなさい。