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飴と鞭 教育

人間に対しては、飴と鞭が必要なのだ。
例えば、「ごはん、食べたら、図書館で勉強しなさい。さもなくば、ご飯は、あげません」なのだ。
最近は、お仕置きをすることを悪いと思わせる風潮がある。
ご飯にも、エネルギーがある。よって、ご飯を食べたら、必然的に、何かを提供しなければならないのだ。そうしないと、体に嫌なモノが残る。
この事が、わかっている人が増えてほしいと思う。
ご飯にごめんなさい。作ってくれた人にありがとう。なのだ。嫌なことと好きなことは、引っくるめるのだ。
また、自分の方が、頑張っているというのは、思い上がりに過ぎないのだ。全ての方面から見れば、変わらないのだ。例えば、私の方が、母より頑張って、朝早く起きていたとしよう。だからといって、私が、優れているというわけではないのだ。一場面だけ切り取りとって、アイデンティティの優位性を見たい脳の癖なのだ。誰か比較しても、仕方がないことなのだ。
これは、説明が難しいが、要は、「頑張っている」人は、他の事を、「怠けている」のだ。頑張っている人は、周囲の人を抑圧しているのだ。怠けている人は、周囲の人を安心させているのだ。
ここにも、宇宙の動きと、フラクタルな関係だ。
これは、アスリートでも、同じなのだ。
役割分担の違いなのだ。役割が違う人の意見と、自分の意見、どちらが優れているかというのは、勘違いなのだ。
人間土台できることは、そんなに多くないのだ。
が、人間の現象世界では、工夫次第で、怠けていないと見せ付けることが出来るのだ。ただ、神は、全てお見通しなのだ。自分が、少しずつ変わっていけば、いいのだ。目の前の人と離れられないのは、課題が残っているからだ。