verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

神はどこにいるか 神の介入と魔の量の均等性

神は、人の「神経」に介入できるようだ。神経という字には、神という字が入っている。昔は、気にしてなかった。
普通の神経細胞、神経伝達ぐらいにしか思っていなかった。
今では、今まで、散々助けてもらっていたと気付くと、背筋が感動した。
漢字というのは、深い意味を持っている。
自分の神経に、介入されたのを意識で捉えたことがある人なら、わかるだろう。

日常生活で、分かりやすく言えば、私は、寝起きによく介入していただいていた。まるで、モーニングコールのようだが、正確無比なのだ。
が、意志が弱い私は、折角介入してくれたのに、やっぱり止めとくかとなる。が、猛烈に怒ってくるのだ。
何十年も、ありがたいことだ。
私もそうだが、気のせいだと思っていた。
余りに多くの人は、神に助けられていることを、研究していないから、わからないのだろう。
いや、私のように、アホじゃないからだろう。
ただ、意図的にコントロールするのは、私は、あまり好かない。支配欲で、術をする悪徳陰陽師のようだからだ。
「神はどこにあるの?」と子供に聞かれたら、「神経にあるよ」と伝えたい。
体験知なのだ。
また、DNAも、変化させられるのが、神のようだ。細胞も、そうなのだ。
が、勿論、基本的な努力がなければ、その分、助けられないようだ。
私は、家から一歩も出なかったから、助けが来なかった。助けが来るのは、それなりの事をしなければ、助けは来ないのだ。いや、助けはいつも来ていたのだ。が、いつも、無視していた。

また、私は、悪夢を受け入れることにした。悪夢でも構わない。一日の魔のコントロールなのだ。潔く魔を受け入れることだ。意図的に魔を作り乗り越えるというのは、自分を助けてくれる。

筋トレをすると、嫌な気分になるが、乗り越えるといい気分になる。魔を乗り越えた分、他の事も、魔がなく楽にできる。一日の魔が、どれくらいの量かというのは、なかなか計測しづらい分野なのだ。が、人それぞれ決まっている。
悪夢を見たくないなら、魔を作る努力をすればいいとも、言える。
「今日楽しすぎたな」と思ったら、魔を作るのだ。そうしないと、とてつもない魔が発生する。
人それぞれ、魔の量は、起きてる時間、寝てる時間、起きながら寝てる時間を含めると、同じなのだ。
なかなか、説明は難しい分野だ。なかなかな課題なので、諦めている。感覚と研究としか、いいようがない。
貴方は、小刻みな小さな魔か、ドカンとした大きな魔か、どちらを選びたいだろうか。
要は、一日の魔に勝てばいいのだ。が、負けてもいいのだが、それはそれで苦しむのだ。どちらを選びたいかだ。
私は、出勤前の嫌な魔に必ず勝っていた。また、職場に入る前に、気合いを入れてから入る動作を繰り返していた。これは、どの人もやっていると思う。スムーズに切り替えるためだ。切り替えもまた、大切なのだ。努力の魔に変更することで、精神的な魔を減らす行為なのだ。魔は、均等なのだ。どの魔にするかなのだ。
まあ、オカルト儀式とも言えるが、やっている人は、案外多いので、意味があるのだ。
あとは、魂に合わせきると、その分魔に勝利した事と同義になるようだ。私は、楽をしたがりなので、魂に合わせきる方を選びたいのだ。そうしないと、神経に魔が来るのを知っているからだ。とても痛いのだ。どちらを選ぶかだ。圧迫ストレスか、自分の魂に合わせきる努力か、どちらがいいかだ。私は、魂に合わせきって、ノーストレスの幸せを体感している。が、気を抜くと、大幅な神経ストレスになるのだ。この辺りを、どの人も熟知すると、幸せになれるのだ。魂に合わせきらなかった誤差が、神経ストレスになるというのは、伝えたい。
金正恩さんを、魂に合わせきっているのかが気になるのだ。が、魂に合わせきっていないので、相当な神経ストレスが振りかかっているので、あまりゴタゴタ言う必要がないのだ。私は、悪そうな人になぜ裁いてはいけないのか気になっていた。が、この神経ストレスと魂の関係性で、腑に落とすことができた。一つ一つ戦ってほしいだけだなのだ。


話は変わって、
「うわ、あの人嫌だな」と「うわ、あの人いいな」というのを、経験は誰でもあるだろう。
「うわ、あの人嫌だな」という逆説的な使命の発揮と
「うわ、あの人いいな」という順接的な使命の発揮は、
プラスマイナス的な意味合いを、肉体では思うだろう。

例えば、逆説的な使命の発揮と順接的な使命の発揮をを足すと、100と仮定しよう。
順接的70+逆説的30の人と。順接的30+逆説的70の人がいるのだ。

順接的に発揮している人は、安心なのだ。逆説的に発揮している人は、不安なのだ。
その人の魂の影響力的にも、比例するのだ。
また、その人自身の使命の肉体的トータルの発揮量が、200の人と1000の人がいるのだ。
つまり、200の人は、順接的に発揮する比率が、7対3であっても、順接的140、逆説的60なのだ。

が、1000の人は、順接的に発揮する比率が、7対3であっても、順接的700、逆説的300なのだ。

ワンマン社長の影響力が高い場合に、わかりやすいだろう。窓際の人は、そんなに人畜無害という、感覚的イメージでわかるだろう。

が、魂体も含めると、総量は、変わらないのだ。窓際の人は、魂体に流れているので、無意識なので、周囲の人が、感知できないだけなのだ。逆にワンマン社長は、無意識が少なくなっているのだ。このような関係性があったのだ。

これで、純粋フラットがわかるのだ。

その人自身の、使命の発揮率の割合というのもあるのだ。が、今回は置いておこう。

気づかせてくれてありがとう。今まで、気付かなくてごめんなさいm(__)m


脊柱=自律神経=神のとおりみち | 言靈ヒーリング~驚くほどシンプルな言靈メソッド~

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