verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

注意 怒り

一度、注意したのに、、、。
これは、
①愛が足りなかった
②その状況が悟りのベスト
③思い通りにいかせようとする支配欲
④その他
かもしれない。
冷静に、考えるのが大事だ。

例えば、私は、母に、「植物の上に、タオルを置くのは、やめたほうがいい」と注意した。
が、母は、「寒いから、かけておく」という言い分だ。
が、太陽の光を浴びる日中にも、かけっぱである。
で、私視点では、「注意したのに」と、なる。
が、冷静に見てみると、自分視点では、風とドアの有り難みを忘れていたのだ。いつも、空気の循環をしてくれてありがとう。代わりにやってくれて、気付かせてくれてありがとう。気付かなくて、ごめんなさい。
なのだ。
私は、鬱になった時に、一度も外に出なかった。母が、空気の循環をしてくれていた事にも気付いていなかった。それぐらい弱っていた。空気の循環は、気の注入になる。空気の循環をして、悪いことは、何もない。と、自分が思い込んでいるのかと思い、調べてみたが、やはり特段にはなさそうだ。用心深い性格の一例だ。
そして、この一件でも、自分が関知していない虚というものの存在に気付く。
虚というのは、圧倒的多数なのだ。自分が気付いてないものの方が圧倒的多数なのだ。だから、ごめんなさい。ありかとうなのである。気にかけてくれて、ありがとうなのである。元気がないのは、元気をもらう状況にないからだ。例えば、元気になるには、人に会ったりすることだ。が、会いたくないという気持ちも、元気がないと、発生するのだ。どちらの気持ちを取るかだ。
この虚という存在があるので、「全てのものを愛しなさい」と、釈迦もキリスト等の宗教家は、おっしゃったのだろう。「あれ?俺怒る資格ないじゃん。あー、怒らなくて善かった」なのだ。何かしら、自分が感謝をしていない事に気付かされるのだ。
「えっと、じゃあ一生謝るの?」という疑問があるようだ。そう、一生謝るのである。それが、自分のためなのだ。ずっと謝るのが正解なのだ。この世の成功ばかり求めると、あの世の成功にならない。ということだ。私が関知していないところで、気を使ってくれた同僚に、ごめんなさい。ありがとうと伝えたい。
増長した場合、必ず制裁は下るのだ。下っているかは、わからなくても。
ごめんなさいと思っている人は、自分の意見がない人というわけではないのだ。

これが、怒りを克服していないと、別のパターンに陥る。「え、なんで?わかったって言ってたじゃん」「いやいや」の連続だ。

換気に必要な時間は5分だけ。新鮮な空気の良い効果 | ガラガラガラ.com

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②その状況が悟りのベスト