verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

叱るのと怒る事の違い

怒るのと叱るの事の違いを考えてみた。
怒るというのは、愛が足りないのだ。
叱るというのは、愛が満ちているのだ。
怒るような状況というのは、全て自分が作っているのである。よって、怒る人は、自分の怒るという動作で、首を絞めるのだ。
叱るというのには、思考の葛藤があるのだ。「このタイミングで、この言い方で、この張りで、この体勢で、この環境で、、、」というものだ。そして、ごめんなさい。自分が百パーセント悪いのに、自分の過去の事は棚にあげて、愛のために、怒らせていただきます。これが、叱るというものなのだ。
怒っている人を見ると、誰だって、「お前は、神なのか、お前だって、悪いことしているじゃないか、完璧なのか」という類いが、頭の中に、浮かんでくる。それも、正しいのだ。だから、怒った後のフォローや仲直りが、必要なのだ。このケースでは、怒っていいと、決めつけると、悪化する。この事に気付いていない人が多い気がしている。叱る前には、謝罪が必要なのだ。そして、愛のために、叱るのだ。私は、怒ることが悪いと言っているわけではない。自分が百パーセント悪いのに、怒らせていただくという気持ちが大切なのだ。


【インタビュー】元教師・教育問題漫画家:眞蔵修平先生 | 「超」職員会議2016

【インタビュー】元教師・教育問題漫画家:眞蔵修平先生 | 「超」職員会議2016


学校で、暴れる生徒というのは、「何か」を具現化してるのだ。大人側の勝手な解釈かもしれない。私は、幼稚園時代に一度暴れたが、それは、周りがあまりにも幼稚な行為を続けていたからだ。その反動なのだ。これは、むしろ徳を積む行為なのだ。周囲に気付かせるというものだ。自分達の常識に、合わない人を、排除しようとする、その思い込みなのだ。むしろ、ヘルプを求めているのだ。自分が女教師だとしても、一つ一つ愛と勇気を出せるかどうかなのだ。