verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

言い訳と妥協と自活の違い

言い訳と妥協と自活の違いを、考えてみたらどうか。
まず、家庭内の問題として、
私に襲い掛かる魔としては、母が適当にやる分別に、自分は、甘えないようにすることである。プラスチック製品でも、ちょっとした紙類のシールがついている。これを、取り除く。が、忙しい毎日では、どうしても、そこまでは気が回らない。私も、ビジネスマンで一人暮らしの時は、適当だった。自分がしたいことを優先していた。心の奥底では、良くないかもと思いながらも、これぐらいやればいいかと、思っていた。ここが、魔に負けた瞬間なのだ。この巡りめぐった魔は、あちこちで顔を出している。そして、プラスチック製品どうかなと、考える。家族が適当に分別したとしよう。その時に、自分と違うやり方をしてると、怒りを覚える脳の仕組みがある。特に努力していたり、これが正解だというのがあると、頭が固くなりやすい。
が、ここで、思考を変えて、自分にごめんなさい。と謝るのだ。それぞれ、認識の違いの立場があるからだ。ここで、過去の自分を思い返せるのだ。そうすると、落ち着く。また、相手が子供だと、お客様だと思って、神様だと思って、接することだ。しっかりと戒告をすることも大切である。仏の顔も、三度までというのがある。また、一度魂に聞くのだ。自分はやってもいい。という風に考えるのだ。会社の先輩だったら、同じように接してただろうか、と視点を変える。家族という視点ばかりだから、うまくいかない。例えば、分別に意識がいかない生徒に対しては、プラスチックリサイクルのサイトで、意味付けをしたりする。家族に対しても同じことをした。製造工場に連れていくのもいいだろう。学校の社会科見学で行ったことはないだろうか。だいたい一度は行っているのだ。誰しも、学校の有り難みを忘れているのだ。学校は、実は結構良いことをしている。が、全部が本人の感謝が足りないのだ。実は、この無意識の器があれば、そんなに同じ所に行かなくて済む。
古い過去の記憶を、引っ張れるからだ。
そこで、感謝に依り、無意識の器から、イメージを引っ張り直すと、うまく物事がいくのだ。無駄な争いに繋がらない。「あ、自分の感謝のコントロールがうまくいかないんだ」となる。学校で、この瞑想を、採り入れるようになれば、世界は、より平和になるだろう。
誰かが何かの循環を回しているのだ。この事を、いつも肝に銘じることだ。