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言い訳と妥協と自活の違い

言い訳と妥協と自活の違いを、考えてみたらどうか。
まず、家庭内の問題として、
私に襲い掛かる魔としては、母が適当にやる分別に、自分は、甘えないようにすることである。プラスチック製品でも、ちょっとした紙類のシールがついている。これを、取り除く。が、忙しい毎日では、どうしても、そこまでは気が回らない。私も、ビジネスマンで一人暮らしの時は、適当だった。自分がしたいことを優先していた。心の奥底では、良くないかもと思いながらも、これぐらいやればいいかと、思っていた。ここが、魔に負けた瞬間なのだ。この巡りめぐった魔は、あちこちで顔を出している。そして、プラスチック製品どうかなと、考える。家族が適当に分別したとしよう。その時に、自分と違うやり方をしてると、怒りを覚える脳の仕組みがある。特に努力していたり、これが正解だというのがあると、頭が固くなりやすい。
が、ここで、思考を変えて、自分にごめんなさい。と謝るのだ。それぞれ、認識の違いの立場があるからだ。ここで、過去の自分を思い返せるのだ。そうすると、落ち着く。また、相手が子供だと、お客様だと思って、神様だと思って、接することだ。しっかりと戒告をすることも大切である。仏の顔も、三度までというのがある。また、一度魂に聞くのだ。自分はやってもいい。という風に考えるのだ。会社の先輩だったら、同じように接してただろうか、と視点を変える。家族という視点ばかりだから、うまくいかない。例えば、分別に意識がいかない生徒に対しては、プラスチックリサイクルのサイトで、意味付けをしたりする。家族に対しても同じことをした。製造工場に連れていくのもいいだろう。学校の社会科見学で行ったことはないだろうか。だいたい一度は行っているのだ。誰しも、学校の有り難みを忘れているのだ。学校は、実は結構良いことをしている。が、全部が本人の感謝が足りないのだ。実は、この無意識の器があれば、そんなに同じ所に行かなくて済む。
古い過去の記憶を、引っ張れるからだ。
そこで、感謝に依り、無意識の器から、イメージを引っ張り直すと、うまく物事がいくのだ。無駄な争いに繋がらない。「あ、自分の感謝のコントロールがうまくいかないんだ」となる。学校で、この瞑想を、採り入れるようになれば、世界は、より平和になるだろう。
誰かが何かの循環を回しているのだ。この事を、いつも肝に銘じることだ。