verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

家の有りがたさ 子供の叱り方 プロ意識

「このマンション手に入れるのに、どれだけ大変だったか」「毎月この家の家賃払うの、生意気言ってるんじゃないよ」「このクソガキがー、甘えんじゃないよ」と叱るのである。ははは。それが、大切なのだ。ブルッと、固定したあげることなのだ。これは、授業中に、ある生徒を、吊し上げると、周りにも緊張が走るという心理学の効果なのだ。よく先生は多用している。そして、企業の人も、多用している。ここで、叱られ上手というのは、とても心が純粋でないと、できないのだ。宇宙の観点で言えば、波動を、粒子に変えてあげるのだ。
それが、愛でもあるのだ。私は、波動を、粒子に変えてあげる作業は大切なのだ。
そして、己の中の誓いというのは、必ず達成する思いが大切なのだ。「絶対達成してやる」そう、思い続けることなのだ。これが、プロ意識なのだ。そして、他の人が、それができてない場合に、一度無化して、考えるのが、相手に寄り添うことなのだ
ここの辺を、相対性理論を、曲解すると、私のように、自爆するので、自縛するので、止めた方がいいのだ。
この世に、絶対はないというのは、相手のために寄り添うためのものだ
私は、必ず明日8時に起きる。これを繰り返すのだ。朝起きれば、自然とやることが固まる。通学や出勤すれば、固まるのと一緒なのだ。その場では、状況状況で変わってくるのだ。新入社員は、いかなるときも、絶対遅刻してはならないというのは、自分を守ってくれるラインなのだ。この「絶対」と、世の中の本質の「絶対」は、違うのだ。つまり、「絶対やる」と叫んでいいのだ。
私は、薬をきっちり用量飲んでいた自分を認めてあげることにした。私の父は、よく同じ動作をするのが好きだった。果物とパンと紅茶を食して、出勤していた。また、限界まで薬を飲もうとする人も認めてあげたい。しかし、当たり前だが、薬は、毎日定時に飲むから、良いのだ。私は、そろそろ時間というものを、取り戻すだろう。人間は、一人ではダメになるようになっている。監視員というのは、とても大切なのだ。
私は、教育のスペシャリストとして、退行実験を試みた。赤ちゃんから、子供、大人になる過程をもう一度、生きたまま体験してみた。やはり、普通に育ってるのだなと、感心したものだ。よって、私は、普通の人間として、多くのものに助けられて生きてきたという有り難みを感じている。多くの過程を経ているのだ。人間は、どうも昔の事は、忘れてしまう癖がある。昔の恩も忘れないことだ。そして、恩返しをするのも忘れないことだ。私は、祖母のために、ひたすら折り鶴を折った。それでいいのだ。誰でも、置かれたところで咲けるのだ。それが、悟りなのだ。ごめんなさい。ありがとうを伝えたい。
私は、母に、「聖書を伝えてくる人の気持ちを考えないと、就職活動しない」と脅しとも、自暴自棄とも言える事をしている。大変になっても、やりきるのが、愛なのだ。私が、私を救うのか、母が母を救うのかの、長い勝負なのだ。この生死をかけたバトルは、どのような結末を遂げるのかは、どちらかが死ぬまで続くのか、どちらも助かるのか、神のみぞ知る。私は、素晴らしい父と母のDNAを、授かった人なのだ。負けるわけがないのだ。と信じることだ。
ふと耳にしたGReeeeNの歩みという、ラジオの音に、勇気をもらったものだ。
プロ意識として、一度消えた記事をもう一度書こう。