verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

表現 代償と利益

表現すると、気持ちは楽になる。
が、反面、何かカウンターパンチを食らう事にもなる。これが、表現の代償だ。
誰の事を書くかによって、変わってくる。
①有名人
②知り合いの知り合い
③知り合い
④探している人
⑤友達
⑥恋愛関係の人
⑦親戚
⑧家族
⑨自分
⑩その他
としよう。
自分に関しては、自分が表現した利益と代償を受ければ良い。
が、他の人に関しては、何とも言えないものがある。伝えたいことがあっても、最近の事は、書きづらい部分がある。それは、とうの昔という、お互いの逃げ道がなくなるからだ。それは、お互いのためにならない。もし、身近な関係者であれば、直接言うのが、誠実な行為だ。私は、不誠実な行為をしているのかもしれない。と思って、なかなか表現できなくなり、気持ち悪くなる。表現したいのは、その本質はどういう事なのかということなのだ。だから、ただ、わかりやすい体験なので、表現しているのであって、誰かを憎んでやっているわけではないのだ。現在の事だと、どうしても、お互いの関係で、表現できないことが、気を使って増えてくる。が、それは、自分はしたくないのだ。私は、回りくどい婉曲表現を多用する優しい心もある。が、暴力的な表現になりそうな時もある。これが、何とも感じが悪いのだ。
例えば、私は、会社を移る際に、お客様に対して、方便的対応を会社のトップから、求められた。それは、会社の方針のためか、自分の尊厳なのか、というテーマになる。自分としては、どちらもありだという、微妙なラインだった。が、会社の方針に従った。正直に自分の事を話すのか、会社の答弁に従うのか、どうかだ。サラリーマンなら、どちらがいいのだろうか。ただ、お客様に対して、私ができることは、ないのではないかと思った。勿論、これが、有名人であれば、自分の尊厳を守るというのは、ありなのかもしれない。が、やはり一般人としては、立つ鳥跡を濁さず、で良いのだと思う。陰ながら、祈りを捧げた時もある。が、やはり現場を離れれば、関係者ではないのだ。結局は、会社の答弁に従って良かったと思っている。
このように、過去の事であれば、特定がされないので、表現しやすくなるのだ。が、自分の尊厳にばかり、目がいくと、敵が増えてしまうと、自分を却って苦しめるのだ。デリケートな問題に関しては、表現方法や表現時期を変えるというのは、最悪の泥沼にならないで済む。
ただ、私には、そういう感情や思考があったと認めたい、同じような立場の人に少しでも元気を与えたいのだ。相手の視点も、勿論考えるが、なかなかそれを書ききるのも、時間的に難しいのをわかってもらいたい。純粋になればなるほど、透明に満ちて、何とも表現しづらいという事に気付いた。だから、神は、あるインスピレーションを瞬時にキャッチできるのだが、人間は、一つ一つ洞察していかないと、あるインスピレーションまでいかないという脳の仕組みがある。分かりやすく言えば、神は、瞬時に山頂の景色のインスピレーションがわかるが、人は一段一段登らないとわからない。そして、コースは、たくさんあるのだ。山頂付近のインスピレーションを持っている人は、ほとんどわかるのだが、棘の道にいる人は、曲解してしまうのだ。この曲解というのは、人間、誰しもあるのだが、どうも人間同士を、バラバラにしてしまう。なので、神も、表現の仕方に、苦労してるのだ。この事を今回は伝えたい。ごめんなさい。ありがとう。