表現 代償と利益

表現すると、気持ちは楽になる。
が、反面、何かカウンターパンチを食らう事にもなる。これが、表現の代償だ。
誰の事を書くかによって、変わってくる。
①有名人
②知り合いの知り合い
③知り合い
④探している人
⑤友達
⑥恋愛関係の人
⑦親戚
⑧家族
⑨自分
⑩その他
としよう。
自分に関しては、自分が表現した利益と代償を受ければ良い。
が、他の人に関しては、何とも言えないものがある。伝えたいことがあっても、最近の事は、書きづらい部分がある。それは、とうの昔という、お互いの逃げ道がなくなるからだ。それは、お互いのためにならない。もし、身近な関係者であれば、直接言うのが、誠実な行為だ。私は、不誠実な行為をしているのかもしれない。と思って、なかなか表現できなくなり、気持ち悪くなる。表現したいのは、その本質はどういう事なのかということなのだ。だから、ただ、わかりやすい体験なので、表現しているのであって、誰かを憎んでやっているわけではないのだ。現在の事だと、どうしても、お互いの関係で、表現できないことが、気を使って増えてくる。が、それは、自分はしたくないのだ。私は、回りくどい婉曲表現を多用する優しい心もある。が、暴力的な表現になりそうな時もある。これが、何とも感じが悪いのだ。
例えば、私は、会社を移る際に、お客様に対して、方便的対応を会社のトップから、求められた。それは、会社の方針のためか、自分の尊厳なのか、というテーマになる。自分としては、どちらもありだという、微妙なラインだった。が、会社の方針に従った。正直に自分の事を話すのか、会社の答弁に従うのか、どうかだ。サラリーマンなら、どちらがいいのだろうか。ただ、お客様に対して、私ができることは、ないのではないかと思った。勿論、これが、有名人であれば、自分の尊厳を守るというのは、ありなのかもしれない。が、やはり一般人としては、立つ鳥跡を濁さず、で良いのだと思う。陰ながら、祈りを捧げた時もある。が、やはり現場を離れれば、関係者ではないのだ。結局は、会社の答弁に従って良かったと思っている。
このように、過去の事であれば、特定がされないので、表現しやすくなるのだ。が、自分の尊厳にばかり、目がいくと、敵が増えてしまうと、自分を却って苦しめるのだ。デリケートな問題に関しては、表現方法や表現時期を変えるというのは、最悪の泥沼にならないで済む。
ただ、私には、そういう感情や思考があったと認めたい、同じような立場の人に少しでも元気を与えたいのだ。相手の視点も、勿論考えるが、なかなかそれを書ききるのも、時間的に難しいのをわかってもらいたい。純粋になればなるほど、透明に満ちて、何とも表現しづらいという事に気付いた。だから、神は、あるインスピレーションを瞬時にキャッチできるのだが、人間は、一つ一つ洞察していかないと、あるインスピレーションまでいかないという脳の仕組みがある。分かりやすく言えば、神は、瞬時に山頂の景色のインスピレーションがわかるが、人は一段一段登らないとわからない。そして、コースは、たくさんあるのだ。山頂付近のインスピレーションを持っている人は、ほとんどわかるのだが、棘の道にいる人は、曲解してしまうのだ。この曲解というのは、人間、誰しもあるのだが、どうも人間同士を、バラバラにしてしまう。なので、神も、表現の仕方に、苦労してるのだ。この事を今回は伝えたい。ごめんなさい。ありがとう。