verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

脳の仕組み 洋服編

人間には、ある固定観念がある。
例えば、今日、ガス器具の修理の人が来た。その時に、私は、パジャマ姿だったから、一瞬戸惑った。きちんとした姿じゃないと、減点されるという根強いイメージがある。私は、この魔に負けた。
99.9%の自分で作った常識から、0.1%の方を取るのは、難しい。この咄嗟というのは、訓練しないと、気付いてないと、難しい。○×をつける人間が、99.9 %なのだから、仕方ない。私のように、その固定観念の研究をしていないと、わからないだろう。また、「あー、あの人パジャマ姿で、しっかりしてないんだよー」と思われる予想がつくので、なかなか0.1%の方は、取れない。相手は、手短に、作業が終われば、それでいいのである。私も、個人宅への営業をしていたので、相手の身なりで不快になるというのは、ないのだ。よって、一見さんには、パジャマ姿を見せて良いのだ。が、これが、付き合いが頻繁な人になると、レッテルを貼られて、不快な気分に、自分がさせられるので、やはり身なりは、整えたほうが、自分のためだ。と冷静に、整理することだ。
やはり、人間は、今までの固定観念の逆を取るのは、脳の仕組み的に、難しい。甘えといわれるかもしれないが、いついかなる時も、人間は、パジャマ姿で、いちゃいけないわけではない。他の作業に没頭した時に、そのような事は、ありえる。衣服に対しては、かなりの固定観念がある。勿論、人に対する敬意と言う意味で、衣服を整えるというのもあるが、何事も、自分で決めているのだ。という事に、気付くことだ。
この○×される恐怖というのは、子供の時に、つくのだろう。これが、正解で、これが不正解というものだ。衣服と心どちらが、合っているのだろうか。
やはり、まだまだ人が魂次元で動くには、固定観点と固定観念の把握が進まないと、難しいのかもしれない。
魂的には、臨機応変に動きたいのだ。パジャマ姿の自分や正装した自分の、どちらでも、いたいのだ。同じ観点や観念でいると、努力しなくて済むのだ。私は、ただ全てを愛するということが、世界を愛することに、繋がるのだ。だから、別に正装してる自分が好きな人は、それでいいのだが、相手を認めることだ。正装するのをやめろというわけではない。自分で、そうしたいからしていることに気付くことだ。全員、ただそうしたいから、そうしてるのだ。そうすると、平和なあり方になるのだ。絆があり、尊重し合う二人ならできるのだが、そうじゃないと、なかなか人は、○×で見てしまう脳の癖があるのだ。私は、高級レストランに行く際は、ジャケットと革靴にする格好に変えるのだ。こういうのも、大切なのだ。