脳の仕組み 洋服編

人間には、ある固定観念がある。
例えば、今日、ガス器具の修理の人が来た。その時に、私は、パジャマ姿だったから、一瞬戸惑った。きちんとした姿じゃないと、減点されるという根強いイメージがある。私は、この魔に負けた。
99.9%の自分で作った常識から、0.1%の方を取るのは、難しい。この咄嗟というのは、訓練しないと、気付いてないと、難しい。○×をつける人間が、99.9 %なのだから、仕方ない。私のように、その固定観念の研究をしていないと、わからないだろう。また、「あー、あの人パジャマ姿で、しっかりしてないんだよー」と思われる予想がつくので、なかなか0.1%の方は、取れない。相手は、手短に、作業が終われば、それでいいのである。私も、個人宅への営業をしていたので、相手の身なりで不快になるというのは、ないのだ。よって、一見さんには、パジャマ姿を見せて良いのだ。が、これが、付き合いが頻繁な人になると、レッテルを貼られて、不快な気分に、自分がさせられるので、やはり身なりは、整えたほうが、自分のためだ。と冷静に、整理することだ。
やはり、人間は、今までの固定観念の逆を取るのは、脳の仕組み的に、難しい。甘えといわれるかもしれないが、いついかなる時も、人間は、パジャマ姿で、いちゃいけないわけではない。他の作業に没頭した時に、そのような事は、ありえる。衣服に対しては、かなりの固定観念がある。勿論、人に対する敬意と言う意味で、衣服を整えるというのもあるが、何事も、自分で決めているのだ。という事に、気付くことだ。
この○×される恐怖というのは、子供の時に、つくのだろう。これが、正解で、これが不正解というものだ。衣服と心どちらが、合っているのだろうか。
やはり、まだまだ人が魂次元で動くには、固定観点と固定観念の把握が進まないと、難しいのかもしれない。
魂的には、臨機応変に動きたいのだ。パジャマ姿の自分や正装した自分の、どちらでも、いたいのだ。同じ観点や観念でいると、努力しなくて済むのだ。私は、ただ全てを愛するということが、世界を愛することに、繋がるのだ。だから、別に正装してる自分が好きな人は、それでいいのだが、相手を認めることだ。正装するのをやめろというわけではない。自分で、そうしたいからしていることに気付くことだ。全員、ただそうしたいから、そうしてるのだ。そうすると、平和なあり方になるのだ。絆があり、尊重し合う二人ならできるのだが、そうじゃないと、なかなか人は、○×で見てしまう脳の癖があるのだ。私は、高級レストランに行く際は、ジャケットと革靴にする格好に変えるのだ。こういうのも、大切なのだ。