verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

サボりたい気持ち 解消

まず自分を認めること。
「あー、これしたくないな」という思いに、囚われることはないだろうか。
私は、よくある。
「あー、これしたくないな」と感じている自分を認めること。これを、したくないと感じている自分を敵だとすると、負の想念が溜まる。なので、ここにも、愛を与えるのだ。
そして、「自分が、やっててもいい自分でいてもいい」と思考を変えることだ。
そして落ち着いたら、よしやるかと思うことだ。そして、その状態であれば、やらないと言う選択も大丈夫の場合もある。一度、相手を認めることだ。この一連のプロセスを、無意識に叩き込むのだ。
私は、よく部活と学校をサボった。自分が嫌だったからだ。だが、その報いを、全て受けている。人それぞれ、うまくいかないことはあるだろう。が、それは、自分が起こしている、起こしていただけなのだ。これを、母の視点に変えると、旦那は、私立に行かせるのに反対だった。母親は、私立に行かせようとした。話し合いを、しっかりせずに、強行した。見栄っ張りだった。見栄っ張りを続けるために、会社でお金を稼ごうと働きに出るようになった。これで、更に悪くなった。自分の執着に気付くことなのだ。私は、母親の言い分と父親の言い分、自分なりに当事者として、寄り添おうと努力し続けていた。なので、私は、ここでは、カルマを積んでいない。人生は、その連続なのだ。誰かの言い分、誰かの言い分、自分の言い分に、寄り添うことなのだ。私は、一度自分を逃がした。が、より追っ手が来るようになった。自業自得なのだ。自分の人生の嫌なことというのは、全て自分で作っているのだ。挽回するチャンスは、常にあるのだ。