なぜ、謝罪が良いのか。
それは、真理を見通すと、お互い様だからだ。
私は、恋人との関係は、お互い様という観念でやっていた。だから、長続きする。
が、実は、全ての人に対して、お互い様なのだ。そこまで広げたことはなかった。友達関係も、同僚やお客様との関係も同じだ。
要は、この、お互い様というのは、良い意味で捉えると、スムーズにいく。
この謝罪というのは、とても人生の考え方が濃縮している。そして、謝ると、潜在意識が軽くなる。謝ると、相手も謝るのだ。お互い、潜在意識が軽くなる。ウィンウィンなのだ。ただ、当たり前だが、真剣に謝るのは勇気がいる。謝っている方が、合っているのだ。そこで、謝らない人は、カルマをためる。自分は悪くないと思っているからだ。謝っても、謝らない人には、謝りが足りないという側面もあるかと思いきや、謝らない人は、傲慢なのだ。相手が謝った分だけ、謝るのが、お互い様だ。より、謝った場合は、より謝るのだ。私は、いつまでも謝りたい。相手も私も、気が楽になるからだ。ごめんなさい。
謝らないから、真相がわからないのだ。相手の真相が気になるなら、謝ることだ。そこまでの愛情や勇気が自分には、ないことに気付くことだ。私は、愛情はあっても、勇気がない。ごめんなさい。生きるのに必死なのだ。だから、わからないのだ。それは、それで仕方ない。どんなに顕在意識が強い人でも、その分だけ、謝ることができれば、通じると思われる。いや、人によるのだろう。悪魔主義の人は、難しい。一番の大罪を犯している事に自分で気付いてないからだ。私は、悪魔でもあるのだ。その事に気付くことだ。
私は、千田琢哉さんの本で、一つだけ、ずっと引っ掛かってた事がある。それは、「若い私がバカでした。勘違いしてました。なんて死んでも口にするな」と謝らないというニュアンスの内容が書いてあったのだ。これが、私を苦しめた。また、「たいていの危機は、ごめんなさいを言うタイミングを逸したから」という内容がある。私には、後者はわかるが、前者がわからないのだ。ここが、いつも引っ掛かっていた。若い人が、志を貫こうとした場合、必ず反抗する組織が現れる。これを、フォローする意味合いで、前者の内容を書いているのか、わからないのだ。これは、ずっと悩んでいる。どういう意味か、腑に落ちない。彼が間違っているのか、私が理解力が足りないのか。志を曲げたときに出る思考なのか、ただプライドが高いだけなのか、相手が服従させる気持ちが強まってしまうのか、そんなことを言っても、過去の事なのか、自分の存在を否定するからなのか、諦めたときに発言するからなのか、自己肯定したい反動なのか、間違っていることを、相手が誤認してしまうからなのか、そこだけは若い人が仕方ないのか、若い人が間違っているという価値観が広がりすぎてしまうからからか、
みんなバカだからか。勘違いは、するものだからか。思い込みが100%という甘えか。またまた何か別の意味合いか。
10. 相手に誠意が伝わる謝罪の基本 - ビジネスマナーの基本