verymuch8’s blog

先に申しますと、保険をかけてるというより、誠意表現ですが、ここに書いてある記事は、役に立つ事実はほとんどないでしょう。 その分野をよく知らない人でも分かるように、分かりやすい事例を用いた直情的な文章のため、傲慢な態度で、読みたくないという方には、申し訳ないですが、なかなか品格がある文章に校正する時間がありませんのでご了承下さい。スピリチュアルや哲学が主な分野ですし、まやかしに過ぎないです。専門分野は、日常生活の微差(微妙な差)の研究です。こんなプログではございますが、訪問してくださった方に少しでもお役に立

表現されなかった思いとは

表現されなかった、嫌な思いとは、どうなるのだろうか。
何というか、虫が好かない気持ちだ。
周囲の人に、誰かに話すというのは、ある。
ただ、本人に吐き出して、火に油というのは、あるのだ。
これも、ごめんなさいありがとう、愛のエネルギー法なのだ。
引っ掛かりそうになった時ほど、これが利くのだ。まず、ごめんなさいと思う。そうすると、何かしら謝る事や、感謝する事や、良い方法が浮かぶのだ。最初に怒ったのが、チンケなことが、どうしてそうなったのか、どの観念なのか、と理性で見ることも大切だ。
この自分の負の感情と、戦うことだ。
勿論、のっぴきならない事情がある場合は、素直に言うことだ。
が、そうでもない場合のケースの方が、多い。
「あれ?この前は、素直だったのに、あれは嘘なの?」となりかねない。
ただ、どの観念なのかの確認はとても大事で、何でもかんでも従えという事ではない。
やはり、魔というのは、対処できると、「あ、ばれた?」という悪戯っ子なのだ。対処できないと、悪童に見えるのだ。そういうものだ。
金は、物質なので、整理整頓が必要だ。
が、ほぼ全ては、気持ちの問題なのだ。
この面で、おかしい。と思うことだ。
一番深い層まで行けていれば、何かしら謝るポイントというのは、情報がなくても、浮かんでくるものだ。つまり、相手が謝らないという事は、そのところまで、精神領域がいけてないことの裏返しなのだ。ただ、忙しいとそんな事も言ってられない。やはり、忙しいというのは、心を亡くすのだ。それは、現代社会では、仕方ないことだ。私がもっと成長してなくて、フォロワーを増やせず、ごめんなさい。と思えるかどうかだ。
こう考えると、この世は、魔に勝つ鍛練の場だと思えるのだ。斎藤一人さんの「この世に生まれた人は、みんな、やり直し組」や、キリスト教の「サタンに勝て」など、多くの関連した想念体を、引っ張り出せるのだ。これも、脳の仕組みなのだ。ただ、勿論違う想念体も引っ張り出せるのだ。例えば、「アイデンティティの戦いだ」や「確率的に、偶然起こっただけ」というものだ。偶然という視点も、時には、自分を助けてくれるのだ。