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表現の限界

表現には、限界がある。
「子供は、みんな宝物」というインスピレーションがある。
「お年寄りは、みんな宝物」というインスピレーションがある。
「子供も大人もお年寄りも、みんな宝物」というインスピレーションがある。
「神も仏も子供も大人もお年寄りも、みんな宝物」というインスピレーションがある。
「神も仏も子供も大人もお年寄りも亡くなった人もロボットも犬も植物も鉱物も、繊維も医療も、、、宝物」というインスピレーションがある。
そうしてくと、全部宝物となる。だいたい人は、脳で、経験したものを宝物とする。ある特定の領域を宝物とする。それは、それで強く認識できる。が、反面偏るのだ。私は、子供を教える立場だったから、子供が宝物と強く認識してた。そうすると、お年寄りより、子供が大事、つまり次世代に予算を投じた方がいいというパラダイムが発生する。が、お年寄りと接する立場だと、お年寄りが宝物という認識になると、あれ?子供もお年寄りも同じくらい宝物だと気付く。そうすると、予算配分に困るのだ。だが、究極の実在から、インスピレーションを貰えば、予想外の選択肢が提示されるものだ。ちょっと予想外でやりたくないのだが、やってみると、思わぬ結果になる。だから、そこに注意するのも、とても大切なものだ。そして、自分の意見と相手の意見、まだまだだなと笑ってしまう。どの人の意見も違って当たり前だし、どの人の意見も間違っていて、合っているのである。だから、両方大事なのだ。ただ、それもまた人それぞれ違うのが面白いと笑えるかどうかだ。シリアスとギャグは両方ありえるのだ。


パワーインフレと表現の限界 映画「ドラゴンボールZ 復活のF」 - あざなえるなわのごとし

パワーインフレと表現の限界 映画「ドラゴンボールZ 復活のF」 - あざなえるなわのごとし

ドラゴンボールのパワーインフレについて、微細に表現してる。が、若い人が見れば、良いのだ。何度も見てるから、飽きるのだ。同じパターンだと、思うと逆につまらなくなる。違う観点で、見ると、面白いのだ。例えば、友達と、アテレコすれば、声優気取りになって、面白い。